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日蓮大聖人『御書』解説

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2018年 03月 27日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(40)

【化城喩品七箇の大事】

 第一 化城(けじょう)の事


 御義口伝に云く、化とは色法なり・城とは心法なり。

 此の色心の二法を無常と説くは、権教の心なり。

 法華経の意は、無常を常住と説くなり、化城即宝処(注)なり。


 所詮今日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、色心妙法と開くを化城即宝処と云うなり。

 十界皆化城・十界各各宝処なり。化城は九界なり、宝処は仏界なり。化城を去つて宝処に至ると云うは五百由旬の間なり。此の五百由旬とは見思・塵沙・無明なり。
 此の煩悩の五百由旬を妙法の五字と開くを、化城即宝処と云うなり。化城即宝処とは即の一字は南無妙法蓮華経なり。念念の化城、念念の宝処なり。


 我等が色心の二法を無常と説くは権教なり、常住と説くは法華経なり。

 無常と執する執情を滅するを、即滅化城と云うなり。化城は皮肉、宝処は骨なり。

 色心の二法を、妙法と開覚するを化城即宝処の実体と云うなり。

 実体とは無常常住・倶時相即・随縁不変・一念寂照なり。

 一念とは南無妙法蓮華経・無疑曰信(注)の一念なり。即の一字心を留めて之を思う可し云云。



化城即宝処

法華経で説かれる7つの比喩の一つ。化城喩品第七で下記のように説かれている。

「宝のある所(宝処)に向かって遥かな長旅をする人々がいた。しかし険しい道程で皆が疲れ、歩みが止まった。そこで導師が、神通力で仮想の城(化城)を出現させ、疲れた人々を休息させて癒した。

人々が宝処に到達したと満足しているのを見て、導師はこれは貴方がたを休息させるための仮の城で、本当の宝処はすぐ近くにあると説き、再び宝処に向かって真の宝処に導いた」

この譬喩の中の導師は仏を意味し、旅する人々は衆生を意味する。

さらに化城は二乗(声聞・縁覚)の悟り、宝処は一乗(仏)の悟りを意味し、仏の化導によって二乗がその悟りから脱し、仏道修行を続けて仏として成道することを示している。


無疑曰信(むぎわっしん)

天台の法華文句に「疑い無きを信と曰い、明了なるを解と曰う」とある。

ここで重要なのは、疑い無き、であって、決して「疑うな」と言っているのではないことです。つまり疑いを持っても、それが仏の説く文文を理解することで明瞭になり、疑う点がない状態になった状況を意味することです。

日蓮大聖人は佐渡で記した「開目抄」で、「其の義なきは我が身(日蓮自身が)・法華経の行者にあらざるか。此の疑は此の書の肝心・一期の大事なれば、処処にこれをかく上、疑を強くして答をかまうべし」と記され、不信の信徒に対し「日蓮が法華経の行者にあらざるか、どうかの疑いを強く持って、本書(開目抄)を読み、その答えを得なさい」と門下の信徒を諭されています。



【御義口伝 上】要点解説(41)に続く


要点解説 目次



by johsei1129 | 2018-03-27 22:15 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)


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