【授記品四箇の大事】第二 迦葉光明の事
御義口伝に云く、光明とは一切衆生の相好なり。
光とは地獄の灯燃猛火。此れ即ち本覚自受用の智火なり。乃至仏果之れ同じ。
今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経の光明を謗法の闇冥(ゆうみょう)の中に指し出だす。此れ即ち迦葉の光明如来(注)なり。
迦葉は頭陀(ずだ)を本とす。頭陀は爰(ここ)に抖擻(とそう・物を払い去る)と云うなり。
今末法に入つて余行を抖擻して、専ら南無妙法蓮華経と修するは、此経難持・行頭陀者(注)是なり云云。
注
迦葉の光明如来
迦葉は頭陀(行)第一と称された釈尊十大弟子の一人。
釈迦滅後、500人の阿羅漢(一定の悟りを得た高僧)が、半年以上かけて釈尊50年の説法を取りまとめた、所謂「第一回の仏典結集」を最長老の直弟子として主催した。
また妙法蓮華経授記品第六で、釈尊より未来世で「光明如来」となる記別を受ける。
此経難持・行頭陀者
妙法蓮華経・宝塔品第十で説かれた下記の偈(初めと終わり)
此の経は持ち難し。若し暫くも持つ者は、我即ち歓喜す、諸仏も亦然なり。是の如きの人は、諸仏の歎めたもう所なり。是れ則ち勇猛なり、是れ則ち精進なり、是れを戒を持ち、頭陀を行ずる者と名く。
【御義口伝 上】要点解説(38)に続く。
要点解説 目次