人気ブログランキング |

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2018年 01月 04日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を後継者、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(13)

【方便品八箇の大事】

第六 如我等無異 如我昔所願の事  

(注)に云く、因を挙げて信を勧むと。

御義口伝に云く我とは釈尊、我実成仏、久遠の仏なり、此の本門の釈尊は我等衆生の事なり。
 如我の我は、十如是(注)の末の七如是なり、九界の衆生は始の三如是なり。我等衆生は親なり、仏は子なり、父子一体にして本末究竟等なり。此の我等を寿量品に無作の三身と説きたるなり。今、日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱うる者是なり。

爰を以て之を思うに、釈尊の惣別の二願とは、我等衆生の為に立てたもう処の願なり。此の故に南無妙法蓮華経と唱え奉りて、日本国の一切衆生を我が成仏せしめんと云う所の願、併ら如我昔所願なり。終に引導して、己身と和合するを今者已満足と意得可きなり。

此の今者已満足の已の字、すでにと読むなり、何の処を指して已にとは説けるや。凡そ、所釈の心は諸法実相の文を指して、已にとは云えり。爾りと雖も当家の立義としては(注)、南無妙法蓮華経を指して、今者已満足と説かれたりと意得可きなり。
 
 されば此の如我等無異の文、肝要なり。如我昔所願は本因妙、如我等無異は本果妙なり。妙覚の釈尊は我等が血肉なり、因果の功徳、骨髄に非ずや。釈には挙因勧信と、挙因は即ち本果なり。

今、日蓮が唱うる所の南無妙法蓮華経は、末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり、豈今者已満足に非ずや。
已とは、建長五年三月廿八日(注)に初めて唱え出す処の題目を指して、已と意得可きなり。妙法の大良薬を以て、一切衆生の無明の大病を治せん事疑い無きなり。
 
此れを思い遣る時んば満足なり、満足とは成仏と云う事なり。釈に云く「円は円融円満に名け、頓は頓極頓足に名く」と之を思う可し云云。


疏(ショ)
経典の注釈、及びその書。ここでは天台の法華文句を指す。

十如是
方便品の導入部分の最後の偈
[原文]
唯仏与仏。乃能究尽。諸法実相。所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。
[和訳]
「唯、仏と与仏のみが、すなわち能く、諸法の実相を究め尽くせり。所謂、諸法とは 、是の如き相 是の如き性 是の如き体 是の如き力 是の如き作 是の如き因 是の如き縁 是の如き果 是の如き報 是の如き本と末が究竟(必定)して等しけり」

 尚、日蓮正宗の勤行では十如是を三回繰り返して読経するが、その意味は【一念三千法門】文末の、次の御文に示されておられます。
「所謂、諸法如是相如云云と読む時は、如は空の義なれば我が身の先業にうくる所の相性体力、其の具する所の八十八使の見惑・八十一品の思惑・其の空は報身如来なり。
所謂、諸法如是相云云とよめば、是れ仮の義なれば、我が此の身先業に依つて受けたる相性体力云云其の具したる塵沙の惑悉く、即身応身如来なり。
所謂諸法如是と読む時は、是れ中道の義に順じて業に依つて受くる所の相性等云云、其に随いたる無明皆退いて即身法身の如来と心を開く。
此の十如是、三転によまるる事、三身即一身、一身即三身の義なり、三に分るれども一なり、一に定まれども三なり」と。


当家の立義としては
日蓮大聖人門下の法門としては、の意

建長五年三月廿八日
日蓮大聖人が清澄寺で師道善房、兄弟子等に立宗宣言を内示した日。立宗宣言は一か月後の四月二十八日。


【御義口伝 上】要点解説(14)に続く



by johsei1129 | 2018-01-04 21:18 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : https://nichirengs.exblog.jp/tb/29157593
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。


<< 末法の本仏の立場で法華経二十八...      末法の本仏の立場で法華経二十八... >>