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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 07月 19日

末法の本仏の立場で法華経二十八品を直弟子、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(2)

 御義口伝巻上 日蓮所立自序品至涌出品

【序品七箇の大事】

 第一如是我聞の事  文句(注)の一に云く「如是とは所聞の法体を挙ぐ。我聞とは能持の人なり。記の一に云く、故に始と末と一経を所聞の体と為す」。

 御義口伝に云く、所聞の聞は名字即なり。法体とは南無妙法蓮華経なり。能持とは能の字之を思う可し。
 次に記の一の「故始末一経」の釈は、始とは序品なり末とは普賢品なり。法体とは心と云う事なり。法とは諸法なり、諸法の心と云う事なり。諸法の心とは妙法蓮華経なり。
 伝教云く「法華経を讃むると雖も還つて法華の心を死(ころ)す」と。死の字に心を留めて之を案ず可し。不信の人は如是我聞の聞には非ず。法華経の行者は如是の体を聞く人と云う可きなり。 
 爰を以て文句の一に云く「如是とは信順の辞なり。信は則ち所聞の理会し、順は則ち師資の道成ず」と。
 所詮、日蓮等の類いを以て如是我聞の者と云う可きなり云云。

[要点解説]
 如是我聞とは「是の如き、我聞けり」で「この様に私は仏(釈迦)の説法を聞きました」の意となる。我とは、釈尊十大弟子の一人で多聞第一と称えられていた阿難(アーナンダ)である。阿難は釈迦の従兄弟で、27歳から釈迦の従者、いまでいう秘書官の役目を担っていて、それ以来、釈迦の説法をそばで全て聞いていたことから、釈迦滅後五百人以上もの高弟(羅漢)による仏典結集では、最長老の摩訶迦葉が座長となり、経の結集では阿難が中心者となって口述したと伝えられている。尚、二大弟子と謂われた舎利弗、目犍連はこの時すでに亡くなっている。
また、釈迦の仏典は書き出しが全て「如是我聞」で始まるが、此の仏典の様式は、仏教史上中興の祖と言われ、仏典の解釈書「大智度論」を述作した「龍樹」が定めたという。

日蓮大聖人はこの仏典結集(ぶってんけつじゅう)について「法華経題目抄」で次のように記されておられる。
「仏世に出でさせ給いて五十余年の間八万聖教を説きをかせ給いき、仏は人寿・百歳の時・壬申の歳・二月十五日の夜半に御入滅あり、其の後四月八日より七月十五日に至るまで一夏九旬の間・一千人の阿羅漢・結集堂にあつまりて一切経をかきをかせ給いき」

末法の本仏の立場で法華経二十八品を直弟子、日興上人に口伝した書【御義口伝 上】要点解説(2)_f0301354_17402425.jpg




















[仏典結集が行われたとされる7つの洞窟※仏典結集を外護した阿闍世王が、此の洞窟の前に伽藍を建立したとも言われている]

【御義口伝 上】要点解説(3)に続く


要点解説 目次




by johsei1129 | 2017-07-19 18:03 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)


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