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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 02月 23日

唱法華題目抄 要点解説その五

引き続き大聖人は「一文不通の我等が如くなる者は、いかにしてか法華経に信をとり候べき、又心ねをば何様に思い定め侍らん」と問いかけ、それに対し「此の身の申す事をも一定とおぼしめさるまじきにや、其の故はかやうに申すも天魔波旬・悪鬼等の身に入つて人の善き法門を破りや・すらんとおぼしめされ候はん。一切は賢きが智者にて侍るにや」と答えます。

さらに「若しかやうに疑い候はば、我身は愚者にて侍り、万の智者の御語をば疑いさて信ずる方も無くして、空く一期過し侍るべきにや」と論難を立て、「依法不依人及び依了義経、不依不了義経」の法門について解き明かし、「四十余年の諸経、並に涅槃経を打ち捨てさせ給いて、法華経を師匠と御憑み候へます」と断じます。

仏の遺言に依法不依人と説かせ給いて候へば、経の如くに説かざるをば何にいみじき人なりとも御信用あるべからず候か。
又依了義経、不依不了義経と説かれて候へば、愚癡の身にして一代聖教の前後浅深を弁えざらん程は、了義経に付かせ給い候へ。了義経不了義経も多く候、阿含小乗経は不了義経・華厳・方等・般若・浄土の観経等は了義経、又四十余年の諸経を法華経に対すれば不了義経、法華経は了義経、涅槃経を法華経に対すれば法華経は了義経、涅槃経は不了義経、大日経を法華経に対すれば大日経は不了義経、法華経は了義経なり。
故に四十余年の諸経並に涅槃経を打ち捨てさせ給いて、法華経を師匠と御憑み候へ。
法華経をば国王・父母・日月・大海・須弥山・天地の如くおぼしめせ。諸経をば関白・大臣・公卿・乃至万民・衆星・江河・諸山・草木等の如くおぼしめすべし」と。

引き続き日蓮大聖人は『
慈悲の極理は、唯法華経にのみとどまれりとおぼしめせ』と断じます。 
「我等が身は末代造悪の愚者・鈍者・非法器の者、国王は臣下よりも人をたすくる人、父母は他人よりも子をあはれむ者、日月は衆星より暗を照らす者、法華経は機に叶わずんば況や余経は助け難しとおぼしめせ。
又釈迦如来と阿弥陀如来・薬師如来・多宝仏・観音・勢至・普賢・文殊等の一切の諸仏・菩薩は我等が慈悲の父母此の仏菩薩の衆生を教化する、
慈悲の極理は、唯法華経にのみとどまれりとおぼしめせ。
諸経は、悪人・愚者・鈍者・女人・根欠等の者を救ふ秘術をば未だ説き顕わさずとおぼしめせ。

法華経の一切経に勝れ候故は、但此の事に侍り。而るを当世の学者・法華経をば一切経に勝れたりと讃めて、而も末代の機に叶わずと申すを皆信ずる事、豈謗法の人に侍らずや。
只一口におぼしめし切らせ給い候へ。所詮法華経の文字を破りさきなんどせんには、法華経の心やぶるべからず。又世間の悪業に対して云いうとむるとも、人人用ゆべからず。只相似たる権経の義理を以て云いうとむるにこそ、人はたぼらかさるれとおぼしめすべし」と。


唱法華題目抄 要点解説その六に続く




by johsei1129 | 2017-02-23 20:39 | 御書十大部(五大部除く) | Trackback | Comments(0)


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