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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 02月 03日

如説修行抄 要点解説その三

次に日蓮大聖人は、成仏得道の経は「法華経より外の諸経は一分の得益も・あるまじき」と示すとともに「此等のをきての明鏡を本として一分もたがえず唯有一乗法と信ずるを、如説修行の人とは仏は定めさせ給へり」と断じます。

「我等が本師・釈迦如来は初成道の始より法華を説かんと思食しかども、衆生の機根未熟なりしかば、先ず権教たる方便を四十余年が間説きて後に真実たる法華経を説かせ給いしなり。此の経の序分無量義経にして権実のはうじを指て方便真実を分け給へり。所謂以方便力・四十余年・未顕真実是なり。
大荘厳等の八万の大士・施権・開権・廃権等のいはれを心得分け給いて、領解して言く、法華経已前の歴劫修行等の諸経は終不得成・無上菩提と申しきり給ひぬ。然して後正宗の法華に至つて世尊法久後・要当説真実と説き給いしを始めとして無二亦無三・除仏方便説・正直捨方便・乃至不受余経一偈と禁め給へり。
是より已後は唯有一仏乗の妙法のみ一切衆生を仏になす大法にて、法華経より外の諸経は一分の得益も・あるまじきに、末法の今の学者・何れも如来の説教なれば皆得道あるべしと思いて、或は真言・或は念仏・或は禅宗・三論・法相・倶舎・成実・律等の諸宗・諸経を取取に信ずるなり。是くの如き人をば若人不信・毀謗此経・即断一切世間仏種・乃至其人命終・入阿鼻獄と定め給へり。此等のをきての明鏡を本として一分もたがえず唯有一乗法と信ずるを、如説修行の人とは仏は定めさせ給へり」と。

続いて大聖人は「難じて云く、左様に方便権教たる諸経諸仏を信ずるを法華経と云はばこそ、只一経に限りて経文の如く五種の修行をこらし、安楽行品の如く修行せんは如説修行の者とは云われ候まじきか如何」と、論難を立て、それに対し「末法の始めの五百年には純円・一実の法華経のみ広宣流布の時なり。此の時は闘諍堅固・白法隠没の時と定めて権実雑乱の砌なり」と答えます。
「答えて云く凡仏法を修行せん者は摂折二門を知る可きなり一切の経論此の二を出でざるなり。されば国中の諸学者等仏法をあらあら学すと云へども時刻相応の道をしらず、四節・四季・取取に替れり、夏は熱く冬はつめたく春は花さき秋は菓なる春種子を下して秋菓を取るべし、秋種子を下して春菓を取らんに豈取らる可けんや。極寒の時は厚き衣は用なり、極熱の夏はなにかせん、凉風は夏の用なり冬はなにかせん。

仏法も亦復是くの如し、小乗の流布して得益あるべき時もあり、権大乗の流布して得益あるべき時もあり、実教の流布して仏果を得べき時もあり。
然るに正像二千年は小乗権大乗の流布の時なり。末法の始めの五百年には純円・一実の法華経のみ広宣流布の時なり。此の時は闘諍堅固・白法隠没の時と定めて権実雑乱の砌なり、敵有る時は刀杖弓箭を持つ可し敵無き時は弓箭兵杖何にかせん、今の時は権教即実教の敵と成るなり、一乗流布の時は権教有つて敵と成りて・まぎらはしくば実教より之を責む可し、是を摂折二門の中には法華経の折伏と申すなり。天台云く「法華折伏・破権門理」とまことに故あるかな、然るに摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば冬種子を下して春菓を求る者にあらずや、鶏の暁に鳴くは用なり宵に鳴くは物怪なり。権実雑乱の時法華経の御敵を責めずして山林に閉じ篭り摂受を修行せんは豈法華経修行の時を失う物怪にあらずや。
されば末法・今の時・法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へしぞ。
誰人にても坐せ、諸経は無得道・堕地獄の根源・法華経独り成仏の法なりと音も惜まずよばはり給いて諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵来らん事疑い無し」と。

如説修行抄 要点解説その四に続く




by johsei1129 | 2017-02-03 19:23 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)


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