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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 01月 23日

立正観抄 要点解説その四

次に日蓮大聖人は「天台の本意は何法ぞや」と論難を立て、天台の核心「一心三観」を「法華の妙果を成ぜんが為なり」と示すと共に「如来の果地・果徳の妙法に対すれば可思議の三観なり」と断じ、「不思議の法」ではないと解き明かします。

今問う、天台の本意は何法ぞや。碩学等の云く「一心三観是なり」。今云く、一実円満の一心三観とは誠に甚深なるに似たれども、尚以て行者修行の方法なり。三観とは因の義なるが故なり。慈覚大師の釈に云く「三観とは法体を得せしめんが為の修観なり」云云。
伝教大師云く「今止観修行とは法華の妙果を成ぜんが為なり」云云。
故に知んぬ、一心三観とは果地・果徳の法門を成ぜんが為の能観の心なることを。何に況や、三観とは言説に出でたる法なる故に、如来の果地・果徳の妙法に対すれば可思議の三観なり」と。

次に「問う、一心三観に勝れたる法とは何なる法ぞや」更に論難を立て、それに答えます。
「答う、此の事誠に一大事の法門なり。唯仏与仏の境界なるが故に、我等が言説に出す可からざるが故に、是を申す可らざるなり。
是を以て経文には「我が法は妙にして思い難し言を以て宣ぶ可からず」云云。
妙覚果満の仏すら、尚、不可説・不思議の法と説き給う。何に況や等覚の菩薩、已下乃至凡夫をや」と。

大聖人は更に「問う、名字を聞かずんば何を以て勝法有りと知ることを得んや」と次々に論難を立て、それに答え、結論として「止観は天台己証の界如三千・三諦三観を正と為す、迹門の正意是なり」と断じます
「答う、天台己証の法とは是なり。当世の学者は血脈相承を習い失う故に之を知らざるなり。故に相構え相構えて秘す可く秘す可き法門なり。然りと雖も汝が志神妙なれば其の名を出すなり。一言の法是なり。伝教大師の「一心三観一言に伝う」と書き給う是なり。問う、未だ其の法体を聞かず如何。答う、所詮一言とは妙法是なり。

「問う、何を以て知ることを得ん、妙法は一心三観に勝れたりと云う事を。
答う、妙法は所詮の功徳なり。三観は行者の観門なる故なり。
此の妙法を仏説いて言く「道場所得法、我法妙難思、是法非思量、不可以言宣」云云。天台の云く「妙は不可思議・言語道断・心行所滅なり。法は十界十如・因果不二の法なり」と。

三諦と云うも、三観と云うも、三千と云うも、共に不思議法と云うも、天台の己証は天台の御思慮の及ぶ所の法門なり。此の妙法は諸仏の師なり。

今の経文の如くならば、久遠実成の妙覚極果の仏の境界にして、爾前迹門の教主・諸仏菩薩の境界に非ず。
経に「仏与仏・乃能究尽」とは、迹門の界如三千の法門をば、迹門の仏が当分究竟の辺を説けるなり。
本地難思の境智の妙法は、迹仏等の思慮に及ばず、何に況や菩薩凡夫をや。
止観の二字をば「観名仏知・止名仏見」と釈するも、迹門の仏智・仏見にして妙覚極果の知見には非ざるなり。
其の故は止観は天台己証の界如三千・三諦三観を正と為す、迹門の正意是なり。故に知んぬ、迹仏の知見なりと云う事を。但止観に絶待不思議の妙観を明かすと云えども、只一念三千の妙観に且らく与えて絶待不思議と名くるなり」と。

立正観抄 要点解説その五に続く




by johsei1129 | 2017-01-23 22:41 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
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