日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 01月 15日

教行証御書 要点解説その二

続いて大聖人は、三位房の問い「爾前当分の得道等」について「(諸宗派の僧から)問われたら「無量義経に四十余年の経経を仏・我れと未顕真実と打ち捨て打ち捨て」と、返答するよう示します。

状に云く(三位房からの手紙)難問に云く、爾前当分の得道等云云。
涅槃経第三に「善男子応当修習」の文を立つ可し。之を受けて弘決第三に「所謂久遠必無大者」と会して「爾前の諸経にして得道せし者は、久遠の初業に依るなるべし」と云つて、一分の益之無き事を治定して、其の後、滅後の弘経に於ても亦復是くの如く、正像の得益証果の人は在世の結縁に依るなるべし等云云。
又彼が何度も爾前の得道を云はば、無量義経に四十余年の経経を仏・我れと未顕真実と説き給へば、我等が如き名字の凡夫は仏説に依りてこそ成仏を期すべく候へ、人師の言語は無用なり。
涅槃経には依法不依人と説かれて大に制せられて候へば、なんど立てて未顕真実と打ち捨て打ち捨て、正直捨方便・世尊法久後なんどの経釈をば秘して、左右無く出すべからず」と。

さらに大聖人は「
得道の所詮は爾前も法華経もこれ同じ」という難問については「法師品の已今当の説(注1)をもつて会す可きなり」とご指南なされます。
又難問に云く、得道の所詮は爾前も法華経もこれ同じ、其の故は観経の往生或は其の外・例の如し等云云と立つ可し、又未顕真実其の外但似仮名字等云云と、又同時の経ありと云はば、法師品の已今当の説をもつて会す可きなり、玄義の三籤の三の文を出す可し、経釈能く能く料簡して秘す可し」

更に大聖人は「真言宗等」の問いに対して「弘法大師の妄説、法華経は戯論無明の辺域とは「何れの経文に依るやと云つて、彼の依経を引かば「大日如来は三世の諸仏の中には何れぞや」と云うべし、と示すと共に「其の外常に教へし如く問答対論あるべし」と三位房に細々とご指南なされます。
「一状に云く真言宗云云等、答う彼が立つる所の如き、弘法大師の戯論無明の辺域、何れの経文に依るやと云つて、彼の依経を引かば云うべし、大日如来は三世の諸仏の中には何れぞやと云つて・善無畏三蔵・金剛智等の偽りをば汝は知れるやと云つて・其の後一行筆受の相承を立つ可し。
大日経には一念三千跡を削れり漢土にして偽りしなり。就中僻見有り毘廬の頂上を蹈む証文は三世の諸仏の所説に之有りや、其の後・彼云く等云云、立つ可し。大慢婆羅門が高座の足等云云、彼れ此れ是くの如き次第何なる経文論文に之を出すやと等云云。其の外常に教へし如く問答対論あるべし。設ひ何なる宗なりとも真言宗の法門を云はば、真言の僻見を責む可く候」と。

続いて次のように念仏の破折を指南すると共に、「 一切は現証には如かず」と断じ「善無畏・一行が横難横死、弘法・慈覚が死去の有様、実に正法の行者是くの如くに有るべく候や」と邪宗諸宗派の僧の死去の有様を明らかに指摘します。
次に念仏の曇鸞法師の難行・易行・道綽が聖道・浄土・善導が雑行・正行・法然が捨閉閣抛の文、此等の本経・本論を尋ぬべし、経に於て権実の二経有ること例の如し、論に於ても又通別の二論有り、黒白の二論有ること深く習うべし、彼の依経の浄土三部経の中に是くの如き等の所説ありや、又人毎に念仏阿弥陀等之を讃す又前の如し、所詮和漢両国の念仏宗・法華経を雑行なんど捨閉閣抛する本経本論を尋ぬべし、若し慥なる経文なくんば是くの如く権経より実経を謗ずるの過罪、法華経の譬喩品の如くば阿鼻大城に堕落して展転無数劫を経歴し給はんずらん、彼の宗の僻謬を本として此の三世諸仏の皆是真実の証文を捨つる其の罪実と諸人に評判せさすべし、心有らん人誰か実否を決せざらんや、而して後に彼の宗の人師を強に破すべし。

一経の株を見て万経の勝劣を知らざる事未練なる者かな、其の上我と見明らめずとも釈尊並びに多宝分身の諸仏の定判し給へる経文・法華経許り皆是真実なるを不真実・未顕真実を已顕真実と僻める眼は牛羊の所見にも劣れる者なるべし。
法師品の已今当・無量義経の歴劫修行・未顕真実何なる事ぞや五十余年の諸経の勝劣ぞかし。諸経の勝劣は成仏の有無なり、慈覚智証の理同事勝の眼・善導法然の余行非機の目・禅宗が教外別伝の所見は東西動転の眼目・南北不弁の妄見なり、牛羊よりも劣り蝙蝠鳥にも異ならず、依法不依人の経文・毀謗此経の文をば如何に恐れさせ給はざるや、悪鬼入其身して無明の悪酒に酔ひ沈み給うらん。


 一切は現証には如かず善無畏・一行が横難横死・弘法・慈覚が死去の有様・実に正法の行者是くの如くに有るべく候や、観仏相海経等の諸経並びに竜樹菩薩の論文如何が候や、一行禅師の筆受の妄語・善無畏のたばかり・弘法の戯論・慈覚の理同事勝・曇鸞道綽が余行非機・是くの如き人人の所見は権経権宗の虚妄の仏法の習いにてや候らん、それほどに浦山敷もなき死去にて候ぞやと・和らかに又強く両眼を細めに見・顔貌に色を調へて閑に言上すべし」と。

注1 法師品の已今当の説

[法華経 法師品第十]
爾時仏復告。薬王菩薩摩訶薩。我所説経典。

無量千万億。已説。今説。当説。而於其中。
此法華経。最為難信難解
(訳)爾の時、仏は復び、薬王菩薩摩訶薩に告げり。我が説く所の経典は、

無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かんとなり。而して其の中に於いて、
此の法華経は、最も信じ難く、解し難き為り。


教行証御書 要点解説その三に続く









by johsei1129 | 2017-01-15 18:28 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
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