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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 01月 15日

教行証御書 要点解説その一

教行証御書は、末法に入ると釈尊の教えは教のみあって、今日で説かれた事を衆生が得るための修行法の功力が無く、その結果修行で得る悟りつまり得道するないことを明らかにした書となります。
本書の概要は以下のとおりです。
■出筆時期:建治三年三月二十一日(西暦1277年) 五十六歳御作
■出筆場所:身延山 草庵にて述作
■出筆の経緯:弟子三位房日行より公の場での法論に臨むに際し、いくつか大聖人に問いかけがあり、それに応えるためにしたためた書であります。最初に釈尊滅後の正法時代一千年には、教・行(仏となるための実践方法)・証(仏となった証)が具そなわっているが、次の像法時代一千年には教と行のみあって証が無く、末法に入ると、経(法華経)はあっても行・証が無いことを示され、大聖人が確立したご本尊に向かい妙法蓮華教を唱えることが末法の行であり、唯一の仏となる道であることを民衆に説くことが大事てあると解き明かしております。
尚、三位房日行は才能はあったが公家等に諂うなど虚栄心をぬぐい去ることができず『法門申さるべき様の事』では 「日蓮をいやしみてかけるか」と大聖人に厳しく諭されますが、最後は熱原の法難の際敵方に寝返り横死したことが『聖人御難事』に記されています。尚、御真筆は 現存しておりません。

日蓮大聖人は最初に正像二千年の教・行・証と衆生と釈尊の仏法との機縁について詳細に示されます。
夫れ正像二千年に小乗権大乗を持依して、其の功を入れて修行せしかば、大体其の益有り、然りと雖も彼れ彼れの経経を修行せし人人は、自依の経経にして益を得ると思へども、法華経を以て其の意を探れば一分の益なし。
所以は何ん、仏の在世にして法華経に結縁せしが、其の機の熟否に依り円機純熟の者は在世にして仏に成れり。
根機微劣の者は正法に退転して、権大乗経の浄名・思益・観経・仁王・般若経等にして其の証果を取れること、在世の如し。

されば正法には教行証の三つ倶に兼備せり。像法には教行のみ有つて証無し。今末法に入りては教のみ有つて行証無く、在世結縁の者一人も無し。権実の二機悉く失せり。
此の時は濁悪たる当世の逆謗の二人に、初めて本門の肝心寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と為す。
是の好き良薬を今留めて此に在く汝取つて服す可し差えじと憂る勿れ(注1)」とは是なり。
乃往過去の威音王仏の像法に三宝を知る者一人も無かりしに、不軽菩薩出現して教主説き置き給いし二十四字(注2)を一切衆生に向つて唱えしめしがごとし。彼の二十四字を聞きし者は一人も無く亦不軽大士に値つて益を得たり。
是れ則ち前の聞法を下種とせし故なり。
今も亦是くの如し、彼は像法、 此れは濁悪の末法、彼は初随喜の行者、此れは名字の凡夫、彼は二十四字の下種、此れは唯五字なり。得道の時節異なりと雖も成仏の所詮は全体是れ同じかるべし。


引き続き日蓮大聖人は末法は冥益であることを解き明かします。

「問うて云く、上に挙ぐる所の正像末法の教行証各別なり、何ぞ妙楽大師は「末法の初、冥利無きにあらず且く大教の流行すべき時に拠る」と釈し給うや如何。 答えて云く得意に云く正像に益を得し人人は顕益なるべし、在世結縁の熟せる故に、今末法には初めて下種す冥益なるべし。已に小乗・権大乗・爾前・迹門の教行証に似るべくもなし。現に証果の者之無し。妙楽の釈の如くんば、冥益なれば人是を知らず見ざるなり。


 問うて云く末法に限りて冥益と知る経文之有りや、答えて云く法華経第七薬王品に云く「此の経は則ち為閻浮提の人の病の良薬なり若し人病有らんに是の経を聞くことを得ば病即ち消滅して不老不死ならん」等云云、と。

注1 法華経 如来寿量品第十六の偈

是好良薬。今留在此。汝可取服。勿憂不差。

是の好き良薬を今留めて此に在く汝取つて服す可し差えじと憂る勿れ


注2 法華経 常不軽菩薩品 略法華経の二十四文字の偈
我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作仏
(訳)我、深く汝等を敬う  敢(あえ)て軽ろんじ慢(あなどら) ず。 
所以(ゆえん)は何(いか)ん、 汝等は皆、菩薩道を行じ、 当に作仏することを得ればなり。

教行証御書 要点解説その二に続く





by johsei1129 | 2017-01-15 00:00 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)


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