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日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 01月 03日

法華初心成仏抄 要点解説その三

次に日蓮大聖人は「妙法の五字を弘め給はん智者をばいかに賤くとも上行菩薩の化身か、又釈迦如来の御使かと思うべし」と示すと共に「よき師と・よき檀那と・よき法」について解き明かします。
「薬王菩薩・薬上菩薩・観音勢至の菩薩は、正像二千年の御使なり。此等の菩薩達の御番は早過たれば上古の様に利生有るまじきなり。されば当世の祈を御覧ぜよ一切叶はざる者なり。
末法今の世の番衆は上行・無辺行等にてをはしますなり。此等を能能明らめ信じてこそ法の験も仏菩薩の利生も有るべしとは見えたれ。譬えばよき火打とよき石のかどと・よきほくちと此の三寄り合いて火を用ゆるなり、祈も又是くの如しよき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり。

よき師とは、指したる世間の失無くして、聊のへつらうことなく少欲知足にして慈悲有らん僧の、経文に任せて法華経を読み持ちて人をも勧めて持たせん僧をば、仏は一切の僧の中によき第一の法師なりと讃められたり。

よき檀那とは、貴人にもよらず賤人をもにくまず、上にもよらず下をもいやしまず、一切・人をば用いずして一切経の中に法華経を持たん人をば、一切の人の中に吉人なりと仏は説給へり。

よき法とは、此の法華経を最為第一の法と説かれたり。已説の経の中にも今説の経の中にも当説の経の中にも、此の経第一と見えて候へばよき法なり」

<中略>
最上第一の妙法をもつて御祈祷あるべきか、是を正直捨方便・但説無上道・唯此一事実と云へり誰か疑をなすべきや」と。

さらに大聖人は「問うて云く無智の人来りて生死を離るべき道を問わん時は何れの経の意をか説くべき仏如何が教へ給へるや」と論難を立て、「答えて云く法華経を説くべきなり」と断じます。

 「所以に法師品に云く「若し人有つて何等の衆生か未来世に於て当に作仏することを得べきと問わば応に示すべし、是の諸人等未来世に於て必ず作仏することを得ん」と云云、安楽行品に云く「難問する所有らば小乗の法を以て答えず但大乗を以て而も為に解説せよ」云云。
此等の文の心は何なる衆生か仏になるべきと問わば、法華経を受持し奉らん人必ず仏になるべしと答うべきなり是れ仏の御本意なり。

続いて大聖人は「或人不審して云く、機に叶はざる法華経を強いて説いて謗ぜさせて・悪道に人を堕さんよりは、機に叶へる念仏を説いて・発心せしむべし」と論難を立てとてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり」と門下の弟子信徒を諭します。

「之に付て不審あり衆生の根性区にして念仏を聞かんと願ふ人もあり法華経を聞かんと願ふ人もあり、念仏を聞かんと願ふ人に法華経を説いて聞かせんは何の得益かあるべき、又念仏を聞かんが為に請じたらん時にも強て法華経を説くべきか、仏の説法も機に随いて得益有るをこそ本意とし給うらんと不審する人あらば云うべし、元より末法の世には無智の人に機に叶ひ叶はざるを顧みず但強いて法華経の五字の名号を説いて持たすべきなり。

其の故は釈迦仏・昔不軽菩薩と云はれて法華経を弘め給いしには男女・尼法師がおしなべて用ひざりき、或は罵られ毀られ或は打れ追はれ一しなならず、或は怨まれ嫉まれ給いしかども少しもこりもなくして強いて法華経を説き給いし故に今の釈迦仏となり給いしなり、不軽菩薩を罵りまいらせし人は口もゆがまず打ち奉りしかいなもすくまず、付法蔵の師子尊者も外道に殺されぬ。
又法道三蔵も火印を面にあてられて江南に流され給いしぞかし、まして末法にかひなき僧の法華経を弘めんにはかかる難あるべしと経文に正く見えたり、されば人是を用ひず機に叶はずと云へども強いて法華経の五字の題名を聞かすべきなり、是ならでは仏になる道はなきが故なり。

又或人不審して云く、機に叶はざる法華経を強いて説いて謗ぜさせて・悪道に人を堕さんよりは、機に叶へる念仏を説いて・発心せしむべし、利益もなく謗ぜさせて返つて地獄に堕さんは法華経の行者にもあらず邪見の人にてこそ有るらめと不審せば、云うべし経文には何体にもあれ末法には強いて法華経を説くべしと仏の説き給へるをばさていかが心うべく候や。

釈迦仏・不軽菩薩・天台・妙楽・伝教等はさて邪見の人・外道にて・おはしまし候べきか、又悪道にも堕ちず三界の生を離れたる二乗と云う者をば仏のの給はく設ひ犬野干の心をば発すとも二乗の心をもつべからず五逆十悪を作りて地獄には堕つとも二乗の心をばもつべからずなんどと禁められしぞかし、悪道におちざる程の利益は争でか有るべきなれども其れをば仏の御本意とも思し食さず地獄には堕つるとも仏になる法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり。

されば天台妙楽も此の心を以て強いて法華経を説くべしとは釈し給へり。譬えば、人の地に依りて倒れたる者の返つて地をおさへて起が如し、地獄には堕つれども疾く浮んで仏になるなり。

当世の人・何となくとも法華経に背く失に依りて地獄に堕ちん事疑いなき故に、とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり。
何にとしても仏の種は法華経より外になきなり。権教をもつて仏になる由だにあらば、なにしにか仏は強いて法華経を説いて謗ずるも信ずるも利益あるべしと説き、我不愛身命とは仰せらるべきや。よくよく此等を道心ましまさん人は御心得あるべきなり」と。



by johsei1129 | 2017-01-03 23:16 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)


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