日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 12月 21日

諫暁八幡抄 要点解説その三

 続いて大聖人は「日蓮が法華経の肝心たる題目を日本国に弘通し候は、諸天・世間の眼にあらずや」と門下の信徒に問い質します。

「法華経の第四に云く「仏滅度の後能く其の義を解せんは是れ諸の天人世間の眼なり」等云云。
日蓮が法華経の肝心たる題目を日本国に弘通し候は、諸天・世間の眼にあらずや眼には五あり所謂・肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼なり。此の五眼は法華経より出生せさせ給う故に。

普賢経に云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり諸仏是れに因て五眼を具する事を得給う」等云云、此の方等経と申すは法華経を申すなり、又此の経に云く「人天の福田・応供の中の最なり」等云云。


此等の経文のごとくば妙法蓮華経は人天の眼・二乗・菩薩の眼・諸仏の御眼なり。而るに法華経の行者を怨む人は人天の眼をくじる者なり、其の人を罰せざる守護神は一切の人天の眼をくじる者を結構し給う神なり。

而るに弘法・慈覚・智証等は正しく書を作りて法華経を無明の辺域にして明の分位に非ず、後に望れば戯論と作る力者に及ばず履者とりにたらずと・かきつけて四百余年、日本国の上・一人より下・万民にいたるまで法華経をあなづらせ一切衆生の眼をくじる者を守護し給うはあに八幡大菩薩の結構にあらずや。

去ぬる弘長と又去ぬる文永八年九月の十二日に日蓮一分の失なくして南無妙法蓮華経と申す大科に国主のはからいとして、八幡大菩薩の御前にひきはらせて一国の謗法の者どもに・わらわせ給いしは、あに八幡大菩薩の大科にあらずや。其のいましめとをぼしきは・ただどしうちばかりなり、日本国の賢王たりし上・第一第二の御神なれば八幡に勝れたる神はよもをはせじ、又偏頗はよも有らじとは・をもへども一切経並に法華経のをきてのごときんば・この神は大科の神なり。
日本六十六箇国二つの島一万一千三十七の寺寺の仏は皆、或は画像或は木像、或は真言已前の寺もあり、或は已後の寺もあり。
此等の仏は皆法華経より出生せり、法華経をもつて眼とすべし、所謂「此の方等経は是れ諸仏の眼なり」等云云。

引き続き日蓮大聖人は建長五年四月二十八日の立宗宣言以来、ひたすら日本国の一切衆生に「妙法蓮華経」を広めてきたことを示します。

今日蓮は去ぬる建長五年癸丑四月二十八日より今年弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり。

此れ即母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり。此れ又時の当らざるにあらず、已に仏記の五五百歳に当れり。天台・伝教の御時は時いまだ来らざりしかども一分の機ある故に少分流布せり。
何に況や今は已に時いたりぬ。設とひ機なくして水火をなすとも、いかでか弘通せざらむ。只不軽のごとく大難には値うとも流布せん事疑なかるべきに真言・禅・念仏者等の讒奏に依りて無智の国主等・留難をなす。此を対治すべき氏神・八幡大菩薩・彼等の大科を治せざるゆへに、日蓮の氏神を諌暁するは道理に背くべしや。







by johsei1129 | 2016-12-21 22:40 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
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