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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 12月 17日

日享上人 六巻抄註解についての総序


六巻抄註解についての総序


日寛上人の六巻抄現本の再治修訂の年月は各巻末御自記のとおりである、ただ未治(みじ)本についてはこれを知るの便少なし、上人の「未治の本を留むる事(なか)れ」との御誡を門下が守ったために残影をも見ないのであろう。あるいは衆人について所蔵を閲しても未治本の正写共に発見することはけだし容易でなかろう。幸いに予が雪山文庫に(きょう)()三年純澄日定の転写に属する末法相応抄上下一巻がある。その下巻末に「大石学頭(だい)()日寛在判」とあるのみで年月を記していない。今本師の他の末抄に六巻抄中の書目ある分を列挙してみよう。

正徳六年記、撰時抄上に依義判文抄の目あり四、要集疏釈部 三四六頁

享保二年記、取要抄上に三重秘伝抄の目あり四、要集疏釈部 三八一頁

享保六年記、当体義抄に三重秘伝抄の目あり四、要集疏釈部 四〇五頁

同年記、法華題目抄に末法相応抄の目あり四、要集疏釈部 三八八頁

享保七年記、報恩抄下末に末法相応抄の目あり四、要集疏釈部三七〇頁、また文底秘沈抄の目あり四、要集疏釈部 三七〇頁已上粗見である。

また他抄にもあるかも知れぬ。ただし当流行事抄当家三衣抄とが見えぬのと、立正安国論に六巻抄を例証せられぬのは引用せらるべき御法門がなかったためであろう。開目抄四巻の長編中にないのは開目抄の開講後に六巻抄の始めの三重秘伝抄が筆せられたためであろう。

すでに未治本の末法相応抄に「学頭日寛」の記名があり三重秘伝抄の自序に開目抄の講次に三段十門の草案が成ってそのままであったのを享保(きょうほう)十年に添削するとあれば、秘伝抄も相応抄も共に学頭時代で正徳三年後の御述記であることは確定する。その余の四巻もまたしかりと推定することを得るのである。

また愚僧が旧著なる日寛上人全伝の中の年表にはその後多少の(あやま)りを発見した。開目抄の講日を享保元年の下に疑問視したるその一である。本師は正徳元年に学頭として蓮蔵坊(れんぞうぼう)に入りたるも、正徳三年に開目抄を始めらるる二年の間には未だ年月の記入ある書記を見ない。あるいは如説修行抄妙法曼荼羅供養抄の記など十余部の内がそれであるかも知れぬ。因師は「学頭となりて大弐阿闍(あじゃ)()と称し初めて題目抄を講ず」と記せられたるが、御自筆の題目抄文段には正徳六年六月四日より始められ同八月十五日に終わる事を記せられてある。今、年月の明かなる末抄は開目抄安国論撰時抄題目抄取要抄が学頭時代の物である。それも一抄(おわ)りて次抄に移るという順序でなく数抄交互に混説せられた事もある。また定講日とてないから進捗の程度は明らかでなく開目抄のごとき始講の日は他書に()りて知ることを得れども終講の日は知る事を得ぬ。あるいは長編の事であるから二年余にまたがったかも知れぬ。また取要抄や当体義抄には他抄のごとくに日割りが記してないから日付は終講の日か直後の追記ではなかろうか。観心本尊抄のごとく夏に講し(おわ)り冬に文段が成稿したという風ではなかったろうか。とにかく学頭時代に六巻抄の講録も成り、その都度門下にはあるいは内見を許されたものもあろう。

本抄の草案本と訂正本との相違はいかほどであるかについては五巻の未治本が発見せられねば分明せぬ。ただし一巻の相応抄では引文や論旨に繁簡があり、文飾に多くの相違があるが大体の結構においては大差を見ぬ、(いま)血脈(けちみゃく)相承(そうじょう)を受けずとも撰ばれて初代の学頭(六代というはただ名義のみ)となられた位の徳学兼備の大器であったから言動とも自然にその法に即した異材であって、二十六代の(かん)()となって相承のために(にわ)かに法門に変動を生ずるような凡器とは思えぬ。ただ相承のために自然に磨きが加わった程度であろうと拝察するのである。

本師八十余巻の述作中無益の冗書はないがこれを総括する要本はこの六巻抄であり、自身三十年の言説を要約したばかりでなく、釈迦仏のまた蓮祖大聖の総てをこの中に納めたりとの会心の御作であったのは、候補たる学頭(にっ)(しょう)師への御譲りの御談にも顕れておる。末徒たるもの(いたずら)にこれを高閣に束ねて木像扱いにせず、日夜不断の研鑽の料として本師の妙義を光顕する事に努められたいのである。

編者が当初の理想はこの六巻抄の全面に少しずつでも簡明な註解を加えたいのであったが、紙面が許さぬばかりでなく、浅智膚学の及ばぬところであるに(きょう)()を生じた。幸いに秘伝抄と三衣抄とには三四十年前の愚註を終訂して加えようとしたが、頁数の都合で秘伝抄だけにした。余の五巻は延べ書きばかりでせんかたなきを許されよ。いずれ老衰の身ながら仏天幸いに(みょう)()ありて幾分の余力を有するあらば近き将来にこの責めを果たそうと思う。


昭和十二年九月 日         編者日享 識す


重版にあたりて寸辞を加う。本巻には二巻以下にも秘伝抄のごとく略解を付すべき予定であったが、頃日の病態ではその元気が()かぬでこれは幸いに回復の時を記して別刊するから、このたびは旧版の序文に云える相応抄の未治本をこの校本の上欄に加えて本師著作の謹厳の聖慮を学徒に知らしめんためである。また更に()(しゃ)()が五十余年前に編集した三衣抄の釈文等を延べ書きにして付録する事にした。


昭和三十二年十月          編者日享 謹んで識す。



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by johsei1129 | 2016-12-17 15:49 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)


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