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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 12月 11日

義浄房御書 要点解説

「義浄房御書」は、日蓮大聖人が「観心本尊抄」を文永十年四月二十五日に書き著せられてから一カ月ほど後の、同年五月二十八日に、清澄寺時代の兄弟子・義浄房に宛てられた消息です。
比較的短いお手紙ですが、文中で「秘すべし、秘すべし」と認められておられるように、「観心本尊抄」で説かれた末法の本仏としての内証を記された極めで重要な消息となっております。

大聖人は最初に「今経(※注)の所詮は十界互具・百界千如・一念三千と云ふ事こそゆゆしき大事にては候なれ」と断じ、次に自身の甚々の内証を解き明かします。
「次に寿量品の法門は日蓮が身に取つてたのみあることぞかし。天台・伝教等も粗しらせ給へども言に出して宣べ給はず、竜樹・天親等も亦是くの如し。
寿量品の自我偈に云く「一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず」云云。日蓮が己心の仏果を此の文に依つて顕はすなり。其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事この経文なり。秘す可し秘す可し」と。
上記の意は、法華経の核心である如来寿量品・自我偈の「一心欲見仏 不自惜身命」の仏とは、末法の本仏日蓮大聖人が覚知した己心の仏界を著わしていると宣言していることにほかなりません。
さらに「日蓮が己心の仏果を此の文に依つて顕はすなり」との御文は「観心本尊抄」文末の「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」の御文と符合致しております。

さらに日蓮大聖人は「無作の三身の仏果を成就せん事は恐くは天台伝教にも越へ竜樹・迦葉にも勝れたり」と断じ、自らを、薬王菩薩の化身たる天台伝教を越えた「末法の本仏」であることを示唆するとともに、「相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり。法華経の御為に身をも捨て命をも惜まざれと強盛に申せしは是なり、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経」と義浄房を身命を惜しまず仏道修行をするよう諭されます。

※注:天台は已今当の三説(いこんとうのさんせつ)について、已説は法華経以前の諸経、今説は法華経の開教である無量義経、当説は法華経以後に説かれた涅槃経と定め、法華経はこれら已今当の三説に超過した経であると分別しますが、日蓮大聖人は本抄では今教を法華経として論を展開しております。





by johsei1129 | 2016-12-11 21:06 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)


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