日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 12月 10日

本尊問答抄 要点解説その三

引き続き日蓮大聖人は「真言亡国」の現証を示すとともに「立正安国論」について言及していきます。
是くの如く仏法の邪正乱れしかば王法も漸く尽きぬ。結句は此の国・他国にやぶられて亡国となるべきなり。
此の事日蓮独り勘え知れる故に仏法のため王法のため、諸経の要文を集めて一巻の書を造る仍つて故最明寺入道殿に奉る。立正安国論と名けき、其の書にくはしく申したれども愚人は知り難し。

所詮現証を引いて申すべし、人王八十二代・隠岐の法王と申す王有き去ぬる、承久三年太歳辛巳五月十五日伊賀太郎判官光末を打捕まします鎌倉の義時をうち給はむとての門出なり。やがて五畿七道の兵を召して相州鎌倉の権の太夫義時を打ち給はんとし給うところに還りて義時にまけ給いぬ。結句・我が身は隠岐の国にながされ太子二人は佐渡の国・阿波の国にながされ給う。公卿七人は忽に頚をはねられてき、これはいかにとしてまけ給いけるぞ国王の身として民の如くなる義時を打ち給はんは鷹の雉をとり猫の鼠を食むにてこそあるべけれ。これは猫のねずみにくらはれ鷹の雉にとられたるやうなり。しかのみならず調伏力を尽せり所謂天台の座主・慈円僧正・真言の長者・仁和寺の御室・園城寺の長吏・総じて七大寺・十五大寺・智慧戒行は日月の如く、秘法は弘法・慈覚等の三大師の心中の深密の大法・十五壇の秘法なり。

五月十九日より六月の十四日にいたるまであせをながしなづきをくだきて行いき最後には御室・紫宸殿にして日本国にわたりていまだ三度までも行はぬ大法・六月八日始めて之を行う程に・同じき十四日に関東の兵軍・宇治勢多をおしわたして洛陽に打ち入りて三院を生け取り奉りて九重に火を放ちて一時に焼失す。

三院をば三国へ流罪し奉りぬ又公卿七人は忽に頚をきる、しかのみならず御室の御所に押し入りて最愛の弟子の小児勢多伽と申せしをせめいだして、終に頚をきりにき御室思いに堪えずして死に給い畢んぬ。母も死す童も死す。
すべて此のいのりをたのみし人、いく千万といふ事をしらず死にきたまたまいきたるもかひなし。御室祈りを始め給いし六月八日より同じき十四日までなかをかぞふれば七日に満じける日なり、此の十五壇の法と申すは一字金輪・四天王・不動・大威徳・転法輪・如意輪・愛染王・仏眼・六字・金剛童子・尊星王・太元守護経等の大法なり。此の法の詮は国敵王敵となる者を降伏して命を召し取りて其の魂を密厳浄土へつかはすと云う法なり。其の行者の人人も又軽からず天台の座主慈円・東寺・御室・三井の常住院の僧正等の四十一人並びに伴僧等・三百余人なり云云。

法と云ひ行者と云ひ又代も上代なり、いかにとしてまけ給いけるぞ、たとひかつ事こそなくとも即時にまけおはりて、かかるはぢにあひたりける事、いかなるゆへといふ事を余人いまだしらず。国主として民を討たん事、鷹の鳥をとらんがごとしたとひまけ給うとも、一年・二年・十年・二十年もささうべきぞかし。五月十五日におこりて六月十四日にまけ給いぬ、わづかに三十余日なり。権の大夫殿は此の事を兼てしらねば祈祷もなしかまへもなし。

さらに日蓮大聖人は、「蒙古対峙の為に真言を用いるならば日本国が逆に蒙古に調伏させられる」と、警鐘を鳴らされ、この事は自身の父母及び清澄寺時代の師である道善御房への報恩の為であると明言されます。

日蓮がいさめを御用いなくて真言の悪法を以て大蒙古を調伏せられば、日本国還つて調伏せられなむ、還著於本人と説けりと申すなり。然らば則ち罰を以て利生を思うに法華経にすぎたる仏になる大道はなかるべきなり、現世の祈祷は兵衛佐殿・法華経を読誦する現証なり。
 此の道理を存ぜる事は父母と師匠との御恩なれば、(日蓮大聖人ご自身の)父母はすでに過去し給い畢んぬ、故道善御房は師匠にておはしまししかども法華経の故に地頭におそれ給いて心中には不便とおぼしつらめども、外には(日蓮を)かたきのやうににくみ給いぬ。後にはすこし信じ給いたるやうにきこへしかども、臨終にはいかにやおはしけむおぼつかなし。地獄まではよもおはせじ又生死をはなるる事はあるべしともおぼへず中有にやただよひましますらむとなげかし。

最後に日蓮大聖人は浄顕房に授与された御本尊の意義について解き明かし、本抄を結ばれます

『貴辺(清澄寺時代の兄弟子・浄顕房)は地頭のいかりし時、義城房とともに清澄寺を出でておはせし人なれば何となくともこれを法華経の御奉公とおぼしめして生死をはなれさせ給うべし。


 此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず。漢土の天台日本の伝教ほぼしろしめしていささかひろめさせ給はず。当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候へ。経には上行・無辺行等こそ出でてひろめさせ給うべしと見へて候へども、いまだ見へさせ給はず、日蓮は其の人に候はねどもほぼこころえて候へば地涌の菩薩の出でさせ給うまでの口ずさみにあらあら申して況滅度後のほこさきに当り候なり。

願わくは此の功徳を以て父母と師匠と一切衆生に回向し奉らんと祈請仕り候、其の旨をしらせまいらせむがために御不審を書きおくりまいらせ候に、他事をすてて此の御本尊の御前にして一向に後世をもいのらせ給い候へ。又これより申さんと存じ候、いかにも御房たちはからい申させ給へ。日蓮花押』







by johsei1129 | 2016-12-10 19:22 | 御書十大部(五大部除く) | Comments(0)


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