日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 12月 05日

法華取要抄 要点解説その二

日蓮大聖人は引き続き「問うて云く法華経は誰人の為に之を説くや」と質し、次のように答えます「答えて曰く方便品より人記品に至るまでの八品に二意有り、上より下に向て次第に之を読めば第一は菩薩・第二は二乗・第三は凡夫なり。安楽行より勧持・提婆・宝塔・法師と逆次に之を読めば滅後の衆生を以て本と為す。(釈尊)在世の衆生は傍なり。滅後を以て之を論ずれば正法一千年像法一千年は傍なり、末法を以て正と為す。末法の中には日蓮を以て正と為すなり。

問うて曰く其の証拠如何、答えて曰く、況滅度後の文是なり。
疑つて云く日蓮を正と為す正文如何、答えて云く「諸の無智の人有つて・悪口罵詈等し・及び刀杖を加うる者」等云云。

問うて曰く自讃は如何、答えて曰く喜び身に余るが故に堪え難くして自讃するなり」と。

次に日蓮大聖人は「問うて曰く本門の心如何」と質し、次のように妙法蓮華経二十八品の核心である「一品二半」について明らかにします。

答えて曰く本門に於て二の心有り。一には涌出品の略開近顕遠は前四味並に迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり、二には涌出品の動執生疑(※注)より一半並びに寿量品、分別功徳品の半品已上一品二半を広開近顕遠と名く、一向に滅後の為なり」と。

さらに引き続き「略開近顕遠と広開近顕遠」について詳細に論を展開します。

問うて曰く略開近顕遠の心如何、答えて曰く文殊弥勒等の諸大菩薩・梵天・帝釈・日月・衆星・竜王等初成道の時より般若経に至る已来は一人も釈尊の御弟子に非ず此等の菩薩天人は初成道の時仏未だ説法したまわざる已前に不思議解脱に住して、我と別円二教を演説す釈尊其の後に阿含・方等・般若を宣説し給う。然りと雖も全く此等の諸人の得分に非ず、既に別円二教を知りぬれば蔵通をも又知れり、勝は劣を兼ぬる是なり。委細に之を論ぜば或は釈尊の師匠なるか、善知識とは是なり、釈尊に随うに非ず。
法華経の迹門の八品に来至して始めて未聞の法を聞いて此等の人人は弟子と成りぬ。舎利弗目連等は鹿苑より已来、初発心の弟子なり。然りと雖も権法のみを許せり。今法華経に来至して実法を授与し、法華経本門の略開近顕遠に来至して華厳よりの大菩薩・二乗・大梵天・帝釈・日月・四天・竜王等は位妙覚に隣り、又妙覚の位に入るなり。若し爾れば今我等天に向つて之を見れば生身の妙覚の仏本位に居して衆生を利益する是なり。

問うて曰く誰人の為に広開近顕遠の寿量品を演説するや。答えて曰く寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり、滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり。
疑つて云く此の法門前代に未だ之を聞かず、経文に之れ有りや。答えて曰く予が智前賢に超えず、設い経文を引くと雖も誰人か之を信ぜん、卞和が啼泣・伍子胥が悲傷是なり。然りと雖も略開近顕遠・動執生疑の文に云く「然も諸の新発意の菩薩・仏の滅後に於て若し是の語を聞かば或は信受せずして法を破する罪業の因縁を起さん」等云云。文の心は寿量品を説かずんば末代の凡夫皆悪道に堕せん等なり。寿量品に云く「是の好き良薬を今留めて此に在く」等云云。文の心は上は過去の事を説くに似たる様なれども此の文を以て之れを案ずるに、滅後を以て本と為す。先ず先例を引くなり。分別功徳品に云く「悪世末法の時」等云云、神力品に云く「仏滅度の後に能く是の経を持たんを以つての故に諸仏皆歓喜して無量の神力を現じ給う」等云云。

薬王品に云く「我が滅度の後・後の五百歳の中に広宣流布して閻浮提に於て断絶せしむること無けん」等云云。又云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり」等云云。
涅槃経に云く「譬えば七子の如し父母平等ならざるに非ざれども然も病者に於て心則ち偏に重し」等云云。七子の中の第一第二は一闡提謗法の衆生なり諸病の中には法華経を謗ずるが第一の重病なり。

諸薬の中には南無妙法蓮華経は第一の良薬なり、此の一閻浮提は縦広七千由善那八万の国之れ有り。正像二千年の間未だ広宣流布せざるに、法華経当世(末法)に当つて流布せしめずんば釈尊は大妄語の仏・多宝仏の証明は泡沫に同じく、十方分身の仏の助舌も芭蕉の如くならん」と。

涌出品の動執生疑:法華経 従地涌出品第十五で地の下から地涌の菩薩が湧き出ると、弥勒菩薩等の諸菩薩は「これ等の大菩薩摩訶薩衆は今まで見たことがない、何の因縁があって出現したのか」と疑念(動執生疑)を持ち、そのことを釈尊に問いかけた事を示します。
日蓮大聖人は従地涌出品のこれ以降の後半・半品と寿量品の一品と続く分別功徳品の前半の半品を、広開三顕一と解き明かされておられます。
観心本尊抄では「本門に於て序正流通有り、過去大通仏の法華経より乃至現在の華厳経、乃至迹門十四品涅槃経等の(釈尊)一代五十余年の諸経、十方三世諸仏の微塵の経経は皆、寿量(品)の序分なり。一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く」と、説かれております。


[従地涌出品第十五 動執生疑の始まりの偈]

薩摩訶薩衆 従地涌出

爾時弥勒菩薩 及八千恒河沙 諸菩薩衆 皆作是念
我等従昔已来 不見不聞 如是大菩薩摩訶薩衆
従地涌出 住世尊前 合掌供養 問訊如来
時弥勒菩薩摩訶薩 知八千恒河沙 諸菩薩等
心之所念 并欲自決所疑 合掌向仏 以偈問曰


法華取要抄 要点解説その三に続く







by johsei1129 | 2016-12-05 18:03 | 御書十大部(五大部除く) | Trackback | Comments(0)
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