日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 12月 01日

報恩抄 要点解説その四

次に日蓮大聖人は『問うて云く法華経・一部・八巻・二十八品の中に何物か肝心なるや』と、論難を立てて、法華経二十八品の肝心を説かれていきます。
『答えて云く華厳経の肝心は大方広仏華厳経・阿含経の肝心は仏説中阿含経・大集経の肝心は大方等大集経、般若経の肝心は摩訶般若波羅蜜経、雙観経の肝心は仏説無量寿経、観経の肝心は仏説観無量寿経、阿弥陀経の肝心は仏説阿弥陀経、涅槃経の肝心は大般涅槃経。かくのごとくの一切経は皆如是我聞の上の題目・其の経の肝心なり。大は大につけ小は小につけて題目をもつて肝心とす。

今の法華経も亦もつて・かくのごとし、如是我聞の上の妙法蓮華経の五字は即一部八巻の肝心、亦復・一切経の肝心・一切の諸仏・菩薩・二乗・天人・修羅・竜神等の頂上の正法なり。
問うて云く南無妙法蓮華経と心もしらぬ者の唱うると南無大方広仏華厳経と心もしらぬ者の唱うると斉等なりや、浅深の功徳差別せりや。

答えて云く浅深等あり、疑て云く其の心如何。
答えて云く小河は露と涓と井と渠と江とをば収むれども大河ををさめず、大河は露乃至小河を摂むれども大海ををさめず。阿含経は井江等露涓ををさめたる小河のごとし、方等経・阿弥陀経・大日経・華厳経等は小河ををさむる大河なり。

法華経は露・涓・井・江・小河・大河・天雨等の一切の水を一たいももらさぬ大海なり。譬えば身の熱者の大寒水の辺にいねつればすずしく・小水の辺に臥ぬれば苦きがごとし、五逆・謗法の大きなる一闡提人・阿含・華厳・観経・大日経等の小水の辺にては大罪の大熱さんじがたし、法華経の大雪山の上に臥ぬれば五逆・誹謗・一闡提等の大熱忽に散ずべし・されば愚者は必ず法華経を信ずべし、各各経経の題目は易き事・同じといへども愚者と智者との唱うる功徳は天地雲泥なり、譬へば大綱は大力も切りがたし小力なれども小刀をもつて・たやすく・これをきる、譬へば堅石をば鈍刀をもてば大力も破がたし、利剣をもてば小力も破りぬべし、譬へば薬はしらねども服すれば病やみぬ食は服すれども病やまず、譬へば仙薬は命をのべ凡薬は病をいやせども命をのべず。

  疑つて云く二十八品の中に何か肝心ぞや、答えて云く或は云く品品皆事に随いて肝心なり、或は云く方便品・寿量品肝心なり、或は云く方便品肝心なり、或は云く寿量品肝心なり、或は云く開示悟入肝心なり、或は云く実相肝心なり。

問うて云く汝が心如何。答う南無妙法蓮華経肝心なり、其の証如何阿難・文殊等・如是我聞等云云。問うて云く心如何、答えて云く阿難と文殊とは八年が間・此の法華経の無量の義を一句・一偈・一字も残さず聴聞してありしが、仏の滅後に結集の時・九百九十九人の阿羅漢が筆を染めてありしに先づはじめに妙法蓮華経とかかせ給いて如是我聞と唱えさせ給いしは、
妙法蓮華経の五字は一部・八巻・二十八品の肝心にあらずや。されば過去の燈明仏の時より法華経を講ぜし光宅寺の法雲法師は「如是とは将に所聞を伝えんとす前題に一部を挙ぐるなり」等云云。

霊山にまのあたり・きこしめしてありし天台大師は「如是とは所聞の法体なり」等云云。章安大師の云く記者釈して曰く「蓋し序王とは経の玄意を叙し玄意は文心を述す」等云云。此の釈に文心とは題目は法華経の心なり妙楽大師云く「一代の教法を収むること法華の文心より出ず」等云云。

天竺は七十箇国なり総名は月氏国・日本は六十箇国・総名は日本国・月氏の名の内に七十箇国・乃至人畜・珍宝みなあり、日本と申す名の内に六十六箇国あり、出羽の羽も奥州の金も乃至国の珍宝・人畜乃至寺塔も神社もみな日本と申す二字の名の内に摂れり、天眼をもつては日本と申す二字を見て六十六国乃至人畜等をみるべし・法眼をもつては人畜等の此に死し彼に生るをもみるべし。

譬へば人の声をきいて体をしり跡をみて大小をしる蓮をみて池の大小を計り雨をみて竜の分斉をかんがう、これはみな一に一切の有ることわりなり、阿含経の題目には大旨一切はあるやうなれども但小釈迦・一仏のみありて他仏なし、華厳経・観経・大日経等には又一切有るやうなれども二乗を仏になすやうと久遠実成の釈迦仏いまさず、例せば華さいて菓ならず雷なつて雨ふらず鼓あつて音なし眼あつて物をみず女人あつて子をうまず人あつて命なし又神なし、大日の真言・薬師の真言・阿弥陀の真言・観音の真言等又かくのごとし、彼の経経にしては大王・須弥山・日月・良薬・如意珠・利剣等のやうなれども法華経の題目に対すれば雲泥の勝劣なるのみならず皆各各・当体の自用を失ふ、例せば衆星の光の一の日輪にうばはれ諸の鉄の一の磁石に値うて利性のつき大剣の小火に値て用を失ない牛乳・驢乳等の師子王の乳に値うて水となり衆狐が術・一犬に値うて失い、狗犬が小虎に値うて色を変ずるがごとし。

南無妙法蓮華経と申せば南無阿弥陀仏の用も南無大日真言の用も観世音菩薩の用も一切の諸仏・諸経・諸菩薩の用皆悉く妙法蓮華経の用に失なはる。彼の経経は妙法蓮華経の用を借ずば皆いたづらのものなるべし当時眼前のことはりなり。

日蓮が南無妙法蓮華経と弘むれば南無阿弥陀仏の用は月のかくるがごとく、塩のひるがごとく、秋冬の草のかるるがごとく、冰の日天に・とくるがごとく・なりゆくをみよ』
と。


報恩抄 要点解説その五に続く







by johsei1129 | 2016-12-01 22:47 | 報恩抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)
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