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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 11月 30日

報恩抄 要点解説その三

日蓮大聖人は引き続いて諸経の日本伝来の経緯を示すと共に、特に真言宗を強く責めていきます。

それは・いかにもあれ慈覚・智証の二人は言は伝教大師の御弟子とは・なのらせ給ども心は御弟子にあらず。其の故は此の書に云く「謹で依憑集一巻を著わして同我の後哲に贈る」等云云。同我の二字は真言宗は天台宗に劣るとならひてこそ同我にてはあるべけれ。
我と申し下さるる宣旨に云く「専ら先師の義に違い偏執の心を成す」等云云。又云く「凡そ厥師資の道一を闕いても不可なり」等云云。

此の宣旨のごとくならば慈覚・智証こそ専ら先師にそむく人にては候へ。かうせめ候もをそれにては候へども此れをせめずば大日経・法華経の勝劣やぶれなんと存じていのちをまとに・かけてせめ候なり。此の二人の人人の弘法大師の邪義をせめ候はざりけるは最も道理にて候いけるなり。されば粮米をつくし人をわづらはして漢土へわたらせ給はんよりは本師・伝教大師の御義を・よくよく・つくさせ給うべかりけるにや。

されば叡山の仏法は但だ伝教大師・義真和尚・円澄大師の三代計りにてやありけん。天台座主すでに真言の座主にうつりぬ名と所領とは天台山其の主は真言師なり、されば慈覚大師・智証大師は已今当の経文をやぶらせ給う人なり。已今当の経文をやぶらせ給うは・あに釈迦・多宝・十方の諸仏の怨敵にあらずや、弘法大師こそ第一の謗法の人とおもうに、これは・それには・にるべくもなき僻事なり。

其の故は水火・天地なる事は僻事なれども人用ゆる事なければ其の僻事成ずる事なし。弘法大師の御義はあまり僻事なれば弟子等も用ゆる事なし、事相計りは其の門家なれども其の教相の法門は弘法の義いゐにくきゆへに善無畏・金剛智・不空・慈覚・智証の義にてあるなり。慈覚・智証の義こそ真言と天台とは理同なりなんど申せば皆人さもやと・をもう。かう・をもうゆへに事勝の印と真言とにつひて天台宗の人人・画像・木像の開眼の仏事を・ねらはんがために日本・一同に真言宗におちて天台宗は一人もなきなり。例せば法師と尼と黒と青とは・まがひぬべければ眼くらき人はあやまつぞかし。僧と男と白と赤とは目くらき人も迷わず、いわうや眼あきらかなる者をや、慈覚・智証の義は法師と尼と黒と青とが・ごとくなる・ゆへに、智人も迷い愚人もあやまり候て、此の四百余年が間は叡山・園城・東寺・奈良・五畿・七道・日本一州・皆謗法の者となりぬ。

 抑も法華経の第五に「文殊師利此の法華経は諸仏如来の秘密の蔵なり諸経の中に於て最も其の上に在り」云云。
此の経文のごとくならば法華経は大日経等の衆経の頂上に住し給う正法なり。さるにては善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証等は此の経文をばいかんが会通せさせ給うべき。

法華経の第七に云く「能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為第一なり」等云云。
此の経文のごとくならば法華経の行者は川流・江河の中の大海・衆山の中の須弥山・衆星の中の月天・衆明の中の大日天、転輪王・帝釈・諸王の中の大梵王なり。
伝教大師の秀句と申す書に云く「此の経も亦復是くの如し乃至諸の経法の中に最も為第一なり能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為第一なり」已上経文なりと引き入れさせ給いて次下に云く「天台法華玄に云く」等云云、已上玄文と・かかせ給いて上の心を釈して云く「当に知るべし他宗所依の経は未だ最も為れ第一ならず其の能く経を持つ者も亦未だ第一ならず、天台法華宗所持の法華経は最も為れ第一なる故に能く法華を持つ者も亦衆生の中の第一なり。已に仏説に拠る豈自歎ならん哉」等云云。

次下に譲る釈に云く「委曲の依憑具さに別巻に有るなり」等云云、依憑集に云く「今吾が天台大師法華経を説き法華経を釈すること群に特秀し唐に独歩す明に知んぬ如来の使なり讃る者は福を安明に積み謗る者は罪を無間に開く」等云云。

法華経・天台・妙楽・伝教の経釈の心の如くならば今日本国には法華経の行者は一人も・なきぞかし、月氏には教主釈尊・宝塔品にして一切の仏を・あつめさせ給て大地の上に居せしめ大日如来計り宝塔の中の南の下座にすへ奉りて教主釈尊は北の上座につかせ給う。此の大日如来は大日経の胎蔵界の大日・金剛頂経の金剛界の大日の主君なり。両部の大日如来を郎従等と定めたる多宝仏の上座に教主釈尊居せさせ給う、此れ即ち法華経の行者なり天竺かくのごとし。漢土には陳帝の時・天台大師・南北にせめかちて現身に大師となる「群に特秀し唐に独歩す」という・これなり。
日本国には伝教大師・六宗にせめかちて日本の始第一の根本大師となり給う。月氏・漢土・日本に但三人計りこそ於一切衆生中亦為第一にては候へ。されば秀句に云く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去つて深きに就くは丈夫の心なり。天台大師は釈迦に信順して法華宗を助けて震旦に敷揚し叡山の一家は天台に相承して法華宗を助けて日本に弘通す」等云云。
仏滅後・一千八百余年が間に法華経の行者・漢土に一人・日本に一人・已上二人釈尊を加へ奉りて已上三人なり。

日蓮大聖人は釈尊滅後一千八百余年の法華経の行者は「漢土の天台大師、日本の伝教大師」の二人だけであると断じた後、いよいよ末法の法華経の行者は日蓮自身であることを解き明かしていきます。

されば此の真言・禅宗・念仏等やうやく・かさなり来る程に、人王八十二代・尊成・隠岐の法皇・権の太夫殿を失わんと年ごろ・はげませ給いけるゆへに、大王たる国主なれば・なにとなくとも師子王の兎を伏するがごとく、鷹の雉を取るやうにこそ・あるべかりし上、叡山・東寺・園城・奈良七大寺・天照太神・正八幡・山王・加茂・春日等に数年が間・或は調伏・或は神に申させ給いしに二日・三日・だにも・ささへかねて佐渡国・阿波国・隠岐国等にながし失て終にかくれさせ給いぬ。調伏の上首・御室は但東寺をかへらるるのみならず眼のごとくあひせさせ給いし第一の天童・勢多伽が頚切られたりしかば、調伏のしるし還著於本人のゆへとこそ見へて候へ。
これはわづかの事なり。此の後定んで日本国の諸臣万民一人もなく乾草を積みて火を放つがごとく、大山のくづれて谷をうむるがごとく我が国・他国にせめらるる事出来すべし。

此の事・日本国の中に但日蓮一人計りしれり。いゐいだすならば殷の紂王の比干が胸を・さきしがごとく、夏の桀王の竜蓬が頚を切りしがごとく、檀弥羅王の師子尊者が頚を刎ねしがごとく、竺の道生が流されしがごとく、法道三蔵のかなやきをやかれしがごとく、ならんずらんとは・かねて知りしかども、法華経には「我身命を愛せず、但無上道を惜しむ」ととかれ、涅槃経には「寧身命を喪うとも教を匿さざれ」といさめ給えり。

今度命をおしむならば・いつの世にか仏になるべき、又何なる世にか父母・師匠をも・すくひ奉るべきと・ひとへに・をもひ切りて申し始めしかば、案にたがはず或は所をおひ、或はのり、或はうたれ、或は疵を・かうふるほどに去ぬる弘長元年辛酉五月十二日に御勘気を・かうふりて伊豆の国伊東にながされぬ。又同じき弘長三年癸亥二月二十二日にゆりぬ。

 其の後弥菩提心強盛にして申せば・いよいよ大難かさなる事・大風に大波の起るがごとし。昔の不軽菩薩の杖木のせめも我身に・つみしられたり、覚徳比丘が歓喜仏の末の大難も此れには及ばじとをぼゆ。日本六十六箇国・嶋二の中に一日・片時も何れの所に・すむべきやうもなし。古は二百五十戒を持ちて忍辱なる事・羅云のごとくなる持戒の聖人も、富楼那のごとくなる智者も日蓮に値いぬれば悪口をはく。正直にして魏徴・忠仁公のごとくなる賢者等も日蓮を見ては理をまげて非とをこなう。いわうや世間の常の人人は犬のさるをみたるがごとく猟師が鹿を・こめたるににたり。日本国の中に一人として故こそ・あるらめと・いう人なし道理なり。人ごとに念仏を申す人に向うごとに念仏は無間に堕つるというゆへに、人ごとに真言を尊む真言は国をほろぼす悪法という。

国主は禅宗を尊む日蓮は天魔の所為というゆへに我と招ける・わざわひなれば人の・のるをも・とがめず・とがむとても一人ならず、打つをも・いたまず本より存ぜしがゆへに・かう・いよいよ身も・をしまず力にまかせて・せめしかば、禅僧数百人・念仏者数千人・真言師百千人・或は奉行につき或はきり人につき或はきり女房につき或は後家尼御前等について無尽のざんげんをなせし程に最後には天下第一の大事・日本国を失わんと咒そする法師なり。故最明寺殿・極楽寺殿を無間地獄に堕ちたりと申す法師なり、御尋ねあるまでもなし。但須臾に頚をめせ、弟子等をば又頚を切り、或は遠国につかはし、或は篭に入れよと尼ごぜんたち・いからせ給いしかば・そのまま行われけり。

去ぬる文永八年辛未九月十二日の夜は相模の国たつの口にて切らるべかりしが、いかにしてやありけん其の夜は・のびて依智というところへつきぬ。又十三日の夜はゆりたりと・どどめきしが又いかにやありけん・さどの国までゆく。今日切るあす切るといひしほどに四箇年というに結句は去ぬる文永十一年太歳甲戌二月十四日に・ゆりて同じき三月二十六日に鎌倉へ入り同じき四月八日平の左衛門の尉に見参してやうやうの事申したりし中に、今年は蒙古は一定よすべしと申しぬ。同じき五月の十二日にかまくらをいでて此の山に入れり、これは・ひとへに父母の恩・師匠の恩・三宝の恩・国恩をほうぜんがために身をやぶり命をすつれども破れざれば・さでこそ候へ。又賢人の習い三度国をいさむるに用いずば山林にまじわれと・いうことは定まるれいなり。
此の功徳は定めて上三宝・下梵天・帝釈・日月までも・しろしめしぬらん、父母も故道善房の聖霊も扶かり給うらん。
<中略>
さればいかにおもひたてまつれども・まいるべきにあらず、但し各各・二人(浄顕房・義浄房)は日蓮が幼少の師匠にて・おはします。勤操僧正・行表僧正の伝教大師の御師たりしが・かへりて御弟子とならせ給いしがごとし。日蓮が景信にあだまれて清澄山を出でしに、かくしおきてしのび出でられたりしは天下第一の法華経の奉公なり、後生は疑いおぼすべからず。


報恩抄 要点解説その四に続く







by johsei1129 | 2016-11-30 19:12 | 報恩抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)
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