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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 11月 25日

撰時抄 要点解説その三

日蓮大聖人はせんずるところ機にはよらず時いたらざれば・いかにもとかせ給はぬにや」と断じ、大集経に説かれている「五五百歳」にて仏法流通の過程を示し、末法こそ法華経流通の時であることを明らかにしていきます。

『今末法に入つて二百余歳、大集経の於我法中・闘諍言訟・白法隠没の時にあたれり。仏語まことならば定んで一閻浮提に闘諍起るべき時節なり。
伝え聞く漢土は三百六十箇国・二百六十余州はすでに蒙古国に打ちやぶられぬ。華洛すでにやぶられて徽宗・欽宗の両帝・北蕃にいけどりにせられて韃靼にして終にかくれさせ給いぬ。徽宗の孫高宗皇帝は長安をせめをとされて田舎の臨安行在府に落ちさせ給いて、今に数年が間京を見ず。高麗六百余国も新羅百済等の諸国等も皆大蒙古国の皇帝にせめられぬ。今の日本国の壱岐・対馬並びに九国のごとし、闘諍堅固の仏語地に堕ちず。あたかもこれ大海のしをの時をたがへざるがごとし。

是をもつて案ずるに、大集経の白法隠没の時に次いで法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか
。彼の大集経は仏説の中の権大乗ぞかし、生死をはなるる道には法華経の結縁なき者のためには未顕真実なれども、六道・四生・三世の事を記し給いけるは寸分もたがはざりけるにや。何に況や法華経は釈尊・要当説真実となのらせ給い多宝仏は真実なりと御判をそへ、十方の諸仏は広長舌を梵天につけて誠諦と指し示し、釈尊は重ねて無虚妄の舌を色究竟に付けさせ給いて、後五百歳に一切の仏法の滅せん時、上行菩薩に妙法蓮華経の五字をもたしめて謗法一闡提の白癩病の輩の良薬とせんと梵帝・日月・四天・竜神等に仰せつけられし金言虚妄なるべしや。
大地は反覆すとも高山は頽落すとも春の後に夏は来らずとも日は東へかへるとも月は地に落つるとも此の事は一定なるべし、此の事一定ならば闘諍堅固の時・日本国の王臣と並びに万民等が仏の御使として南無妙法蓮華経を流布せんとするを或は罵詈し或は悪口し或は流罪し或は打擲し弟子眷属等を種種の難にあわする人人いかでか安穏にては候べき。これをば愚癡の者は咒詛すとをもひぬべし、
法華経をひろむる者は日本国の一切衆生の父母なり。章安大師云く「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」等云云、されば日蓮は当帝の父母・念仏者・禅衆・真言師等が師範なり又主君なり。

次に日蓮大聖人は、日蓮こそ末法に法華経を流布せしめる閻浮第一の法華経の行者である事を示されます。

「又日蓮法華経の行者ならずばいかなる者の一乗の持者にてはあるべきぞ、法然が法華経をなげすてよ善導が千中無一・道綽が未有一人得者と申すが法華経の行者にて候か、又弘法大師の云く法華経を行ずるは戯論なりとかかれたるが法華経の行者なるべきか。

経文には能持是経能説此経なんどこそとかれて候へ。よくとくと申すはいかなるぞと申すに於諸経中最在其上と申して、大日経・華厳経・涅槃経・般若経等に法華経はすぐれて候なりと申す者をこそ、経文には法華経の行者とはとかれて候へ。
もし経文のごとくならば日本国に仏法わたて七百余年、伝教大師と日蓮とが外は一人も法華経の行者はなきぞかし。いかにいかにとをもうところに頭破作七分・口則閉塞のなかりけるは道理にて候いけるなり、此等は浅き罰なり、但一人二人等のことなり。

日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。此れをそしり此れをあだむ人を結構せん人は閻浮第一の大難にあうべし。これは日本国をふりゆるがす正嘉の大地震一天を罰する文永の大彗星等なり、此等をみよ仏滅後の後仏法を行ずる者にあだをなすといへども、今のごとくの大難は一度もなきなり。南無妙法蓮華経と一切衆生にすすめたる人一人もなし。此の徳はたれか一天に眼を合せ四海に肩をならぶべきや。


時抄 要点解説その四に続く





by johsei1129 | 2016-11-25 23:45 | 草稿 | Trackback | Comments(0)


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