日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 11月 21日

観心本尊抄 要点解説 その九

日蓮大聖人は『我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり』と断じた次に、末法に出現する本尊の相妙をあきらかにしていきます。

『此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず、何に況や其の已外をや、但、地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う。

其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士上行等の四菩薩、文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し、迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く、十方の諸仏は大地の上に処し給う。迹仏迹土を表する故なり。

是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し。八年の間にも但八品に限る。正像二千年の間は小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し、権大乗並に涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す。此等の仏をば正像に造り画けども、未だ寿量の仏有さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか。
<中略>
地涌千界正像に出でざるは、正法一千年の間は小乗権大乗なり。機時共に之れ無く四依の大士小権を以て縁と為して在世の下種之を脱せしむ、謗多くして熟益を破る可き故に之を説かず。

例せば在世の前四味の機根の如し、像法の中末に観音・薬王・南岳・天台等と示現し出現して迹門を以て面と為し本、門を以て裏と為して、百界千如・一念三千其の義を尽せり。但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず。所詮円機有つて円時無き故なり。
今末法の初小を以て大を打ち、権を以て実を破し、東西共に之を失し天地顛倒せり。迹化の四依は隠れて現前せず、諸天其の国を棄て之を守護せず。

此の時地涌の菩薩始めて世に出現し、但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ「因謗堕悪必因得益(注)」とは是なり。
我が弟子之を惟(おも)え、地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり。寂滅道場に来らず雙林最後にも訪わず不孝の失之れ有り迹門の十四品にも来らず、本門の六品には座を立つ但八品の間に来還せり、是くの如き高貴の大菩薩・三仏に約束して之を受持す、末法の初に出で給わざる可きか。
当に知るべし、此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す』と。

注「因謗堕悪必因得益」:天台第六祖・妙楽大師「法華文句記」からの引用。謗法の因で悪に堕ちても、必ずその因によって利益を得るという意。妙法蓮華経 不軽菩薩品二十にも説かれている。日蓮大聖人は、妙法蓮華経を説かれて、たとえ批判し反逆する末法の衆生でも、この逆縁で未来世に妙法に縁を結び仏道に入り作仏すると説いた。毒鼓の縁(どっくのえん)とも言う。


観心本尊抄 要点解説その十に続く





by johsei1129 | 2016-11-21 18:43 | 観心本尊抄(御書五大部) | Comments(0)


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