日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 11月 10日

開目抄の要点解説 その十二

日蓮大聖人はいよいよ開目抄の終段に入ると、法華経の布教方法に法華経安楽行品に説かれている「摂受」と、法華経常不軽品に説かれた「折伏」があることを示し、今末法の日本国は破法の国で折伏を行じなければならないと、門下一同を諭します。

汝が不審をば世間の学者・多分・道理とをもう。いかに諌暁すれども日蓮が弟子等も此のをもひをすてず一闡提人の・ごとくなるゆへに先づ天台・妙楽等の釈をいだして・かれが邪難をふせぐ。夫れ摂受・折伏と申す法門は水火のごとし火は水をいとう水は火をにくむ。
摂受の者は折伏をわらう折伏の者は摂受をかなしむ、無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし。邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし。譬へば熱き時に寒水を用い寒き時に火をこのむがごとし、草木は日輪の眷属・寒月に苦をう諸水は月輪の所従・熱時に本性を失う、末法に摂受・折伏あるべし所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり、日本国の当世は悪国か破法の国かと・しるべし。
 問うて云く念仏者・禅宗等を責めて彼等に・あだまれたる・いかなる利益かあるや、答えて云く涅槃経に云く「若し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」等云云。「仏法を壊乱するは仏法中の怨なり慈無くして詐り親しむは是れ彼が怨なり能く糾治せんは是れ護法の声聞真の我が弟子なり彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり能く呵責する者は是れ我が弟子駈遣せざらん者は仏法中の怨なり」等云云。

そして最後に日蓮大聖人は本抄、開目抄の冒頭で説いた「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり」に呼応し、ご自身が主師親の三徳を備えた末法の本仏であることを宣言なされ本抄を締めくくります。

日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり。一切天台宗の人は彼等が大怨敵なり「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親」等云云。無道心の者生死をはなるる事はなきなり、教主釈尊の一切の外道に大悪人と罵詈せられさせ給い天台大師の南北・並びに得一に三寸の舌もつて五尺の身をたつと伝教大師の南京の諸人に「最澄未だ唐都を見ず」等といはれさせ給いし皆法華経のゆへなればはぢならず。

愚人にほめられたるは第一のはぢなり、日蓮が御勘気を・かほれば天台・真言の法師等・悦ばしくや・をもうらんかつはむざんなり・かつはきくわいなり、夫れ釈尊は娑婆に入り羅什は秦に入り伝教は尸那に入り提婆師子は身をすつ薬王は臂をやく上宮は手の皮をはぐ釈迦菩薩は肉をうる楽法は骨を筆とす。天台の云く「適時而已」等云云。
仏法は時によるべし。日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし。
開目抄の要点解説 完。

補足:
日蓮大聖人は開目抄を著わされた数か月後に、強信徒の富木常忍に宛てた消息で次のように「開目抄」の意義について説かれておられます。

[富木殿御返事 本文]
鵞目員数の如く給び候い畢んぬ。御志申し送り難く候、法門の事、先度四条三郎左衛門尉殿に書持せしむ、其の書能く能く御覧有る可。粗経文を勘え見るに日蓮法華経の行者為る事疑無きか。
 但し今に天の加護を蒙らざるは一には諸天善神此の悪国を去る故か。二には善神法味を味わざる故に威光勢力無きか。三には大悪鬼三類の心中に入り梵天帝釈も力及ばざるか等、一一の証文道理追て之を進せしむべし。但し、生涯本より思い切て候、今に飜返ること無く其の上又違恨無し。諸の悪人は又善知識なり、摂受・折伏の二義仏説に依る。敢て私曲に非ず万事霊山浄土を期す、恐恐謹言。
卯月十日十日     日 蓮  花押
土木殿
日蓮が臨終一分も疑無く頭を刎ねらるる時は殊に喜悦有るべし、大賊に値うて大毒を宝珠に易ゆと思う可きか。




by johsei1129 | 2016-11-10 20:20 | 開目抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)
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