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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 10月 30日

開目抄 要点解説 その七

日蓮大聖人は「開目抄上」の終段で、門下へ本抄の中で三度目となる「日蓮が華経の行者ならざるか(中略)いかに・なりぬるやらんと大疑いよいよつもり候」と、問い質します。
これは妙法蓮華経 如来寿量品第十六の冒頭で展開する「三誡三請(釈尊が対合衆の弥勒菩薩に教説を信受すべきと三度誡め、それに対し弥勒菩薩が三度説法を請う)」を彷彿させます。

而るに四十余年の経経をば東春の大日輪・寒冰を消滅するがごとく、無量の草露を大風の零落するがごとく、一言一時に未顕真実と打ちけし、大風の黒雲をまき大虚に満月の処するがごとく青天に日輪の懸り給うがごとく、世尊法久後・要当説真実と照させ給いて華光如来・光明如来等と舎利弗・迦葉等を赫赫たる日輪・明明たる月輪のごとく鳳文にしるし亀鏡に浮べられて候へばこそ、如来滅後の人天の諸檀那等には仏陀のごとくは仰がれ給しか。
水すまば月・影を・をしむべからず風ふかば草木なびかざるべしや。

法華経の行者あるならば此等の聖者は大火の中をすぎても大石の中を・とをりてもとぶらはせ給うべし。い迦葉の入定もことにこそ・よれ、いかにと・なりぬるぞ・いぶかしとも申すばかりなし。後五百歳のあたらざるか広宣流布の妄語となるべきか、日蓮が法華経の行者ならざるか、法華経を教内と下して別伝と称する大妄語の者をまほり給うべきか、捨閉閣抛と定めて法華経の門をとぢよ巻をなげすてよと・ゑりつけて法華堂を失える者を守護し給うべきか、仏前の誓いはありしかども濁世の・大難のはげしさ・をみて諸天下り給わざるか、日月・天にまします須弥山いまも・くづれず海潮も増減す四季も・かたのごとく・たがはず・いかに・なりぬるやらんと大疑いよいよ・つもり候」

[妙法蓮華経 如来寿量品第十六]

爾時仏告諸菩薩。及一切大衆。諸善男子。
汝等当信解。如来誠諦之語。復告大衆。汝等当信解。
如来誠諦之語。又復告諸大衆。汝等当信解。
如来誠諦之語。是時菩薩大衆。弥勒為首。
合掌白仏言。世尊。唯願説之。我等当信受仏語。
如是三白已。復言。唯願説之。我等当信

受仏語。爾時世尊。知諸菩薩。三請不止。
而告之言。汝等諦聴。如来秘密。神通之力。
一切世間天人。及阿脩羅。皆謂今釈迦牟尼仏。
出釈氏宮。去伽耶城不遠。坐於道場。得阿耨多羅三藐三菩提。
然善男子。我実成仏已来。無量無辺。百千万億。那由佗劫。
[和訳]

爾時仏(釈尊)は、諸菩薩及び一切の大衆に告げたもう。「諸の善男子よ、
汝等ら当に如来の誠諦(真実)の語を信解すべし。復た大衆に告げたもう。
汝等は当に如来の誠諦の語を信解すべし。復た大衆に告げたもう。
汝等は当に如来の誠諦の語を信解すべし」と。
是の時、菩薩の大衆は弥勒を首となして、合掌して仏に白して言く、「世尊よ唯願わくば之を説きたまえ。我等は当に信受すべし」と。
是の如く三たび白し已りて、復た言く。「唯願わくば之を説きたまえ。我等は当に信受すべし」と。
爾の時世尊は、諸の菩薩の三たび請いて止ざるを知りて。而、之の言を告げん

「汝等よ、諦に聴かん。如来の秘密、神通の力を。
一切世間の天人、及び阿脩羅は皆、今の釈迦牟尼仏は、釈迦族の王宮を出て、
伽耶城(※)を去りて遠からず、道場(※)に於いて座して、
阿耨多羅三藐三菩提(仏の悟りの境地)を得たと謂えり。然に善男子よ。我、実に成仏して已来、無量無辺・百千万億・那由佗劫(※)なり。

※伽耶城:釈尊在世当時のインドの大国マカダ国の都城
※道場:釈尊は法華経の開教・無量義経で、菩提樹の下に端座し六年にて成道したと説いている。
※由佗劫:仏教上、極めて大きな数量のことで、一般的には10の60乗とされてる。

開目抄 要点解説 その八に続く






by johsei1129 | 2016-10-30 21:04 | 開目抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)


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