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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 10月 29日

開目抄 要点解説 その六

日蓮大聖人は「何故、法華経の行者に諸天の加護がないのかと」いう日蓮門下の疑いに答えるために、最初に日蓮と同様に釈尊も度々大難に有っていることを明示します。これは同時に日蓮大聖人が末法の本仏であることを宣言する為の、重要な根拠を示すことにもなります。

仏すら九横の大難にあひ給ふ、所謂提婆が大石をとばせし阿闍世王の酔象を放ちし阿耆多王の馬麦・婆羅門城のこんづ・せんしや婆羅門女が鉢を腹にふせし。
何に況や所化の弟子の数難申す計りなし、無量の釈子は波瑠璃王に殺され千万の眷属は酔象にふまれ、華色比丘尼は提婆にがいせられ迦廬提尊者は馬糞にうづまれ、目けん尊者は竹杖にがいせらる。

其の上六師同心して阿闍世・婆斯匿王等に讒奏して云く「瞿曇(釈尊)は閻浮第一の大悪人なり、彼がいたる。処は三災七難を前とす、大海の衆流をあつめ大山の衆木をあつめたるが・ごとし。
瞿曇がところには衆悪をあつめたり、所謂迦葉・舎利弗・目連・須菩提等なり。
人身を受けたる者は忠孝を先とすべし、彼等は瞿曇にすかされて父母の教訓をも用いず、家をいで王法の宣旨をも・そむいて山林にいたる。
一国に跡をとどむべき者にはあらず、されば天には日月・衆星・変をなす地には衆夭さかんなりなんど・うつたう、堪べしとも・おぼえざりしに又うちそうわざわいと仏陀にもうちそい・がたくて・ありしなり。
人天大会の衆会の砌にて時時呵嘖の音をききしかば・いかにあるべしとも・おぼへず只あわつる心のみなり、其の上大の大難の第一なりしは浄名経の「其れ汝に施す者は福田と名けず汝を供養する者は三悪道に堕す」等云云。

文の心は仏・菴羅苑と申すところにをはせしに、梵天・帝釈・日月・四天・三界諸天・地神・竜神等・無数恒沙の大会の中にして云く、須菩提等の比丘等を供養せん天人は三悪道に堕つべし。此等をうちきく天人・此等の声聞を供養すべしや。

詮ずるところは仏の御言を用つて諸の二乗を殺害せさせ給うかと見ゆ。心あらん人人は仏をも・うとみぬべし。されば此等の人人は仏を供養したてまつりしついでにこそ、わづかの身命をも扶けさせ給いしか。されば事の心を案ずるに四十余年の経経のみとかれて法華八箇年の所説なくて御入滅ならせ給いたらましかば、誰の人か此等の尊者をば供養し奉るべき。現身に餓鬼道にこそ・をはすべけれ」


開目抄 要点解説 その七に続く




by johsei1129 | 2016-10-29 22:04 | 開目抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)
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