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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 10月 25日

開目抄 要点解説 その二

日蓮大聖人が自ら名付けられた開目抄の題号である「開目」とは何を意味しておられるのか?
日蓮大聖人はいくつかの御書で「開目」について説かれております。
まず最初に御書五大部の一つ「報恩抄」では次のように説かれております。

「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ。
此の功徳は伝教・天台にも超へ竜樹・迦葉にもすぐれたり、極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず、正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか、是れひとへに日蓮が智のかしこきには・あらず時のしからしむる耳(のみ)。
春は花さき秋は菓なる夏は・あたたかに冬は・つめたし時のしからしむるに有らずや」

さらに【乙御前御消息】では妙法蓮華経 見宝塔品第十一の最後の偈を引いて次のように示されておられます。
「日蓮を供養せる男女は武内・若宮なんどのやうにあがめらるべしと・おぼしめせ。抑一人の盲目をあけて候はん功徳すら申すばかりなし、況や日本国の一切衆生の眼をあけて候はん功徳をや、何に況や一閻浮提・四天下の人の眼のしゐたるを・あけて候はんをや。
法華経の第四に云く「仏滅度の後に能く其の義を解せんは是諸の天人世間之眼なり」等云云。法華経を持つ人は一切世間の天人の眼なりと説かれて候。日本国の人の日蓮をあだみ候は一切世間の天人の眼をくじる人なり。

つまり「開目」とは日蓮大聖人が、律、禅、真言、念仏等の法華経以前の爾前経に執着し盲目になっている末法の衆生の目を開けて、妙法蓮華経という正法を示すことを意味しております。
日蓮大聖人は開目抄の冒頭で「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり、又習学すべき物三あり、所謂儒外内これなり」と示され、「儒外内」の教えをそれぞれ分別し、妙法蓮華経が末法の正法であることを懇切丁寧に説き明かされ、さらに日蓮門下の弟子・信徒に自身が末法の妙法蓮華経の行者であることを示されていき、その上で終段で末法の本仏であることを宣言なされます。

[妙法蓮華経 見宝塔品第十一]
仏滅度後 能解其義 是諸天人 世間之眼
於恐畏世 能須臾に説 一切天人 皆応供養

[和訳]
仏の滅度の後に其の義(法華経)を能く解かば 是、諸の天・人の世間の眼なり。
恐畏の世に於いて能く須臾(一瞬)でも説かば、一切の天・人は皆、応に(この人を)供養すべし。


[開目 要点解説] その三に続く


by johsei1129 | 2016-10-25 23:27 | 開目抄(御書五大部) | Trackback | Comments(0)
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