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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 09月 13日

【和漢王代記 その六】

【和漢王代記 本文】 その六

第四十五聖武----六宗----------倶舎宗

          ---------律宗
          ---------成実宗
          ---------法相宗
          ---------三論宗
          ---------華厳宗
 亦禅宗有り。並びに一切経有り。
   --------聖武天皇東大寺の大仏を造る。

 欽明自り聖武に至るまで二百四十余年なり。震旦国自り鑒真(がんじん)和尚渡り律宗を亘す。次に天台宗の玄・文・止等を渡す。又東大寺の小乗戒壇を立つ。

第四十六 孝謙  聖武の女
第四十七 淡路  廃帝
第四十八 称徳 孝謙又即位也
第四十九 光仁 桓武の父なり

第五十 桓武------欽明自り二百六十余年に及ぶ。
        --延暦三年に奈良の都自り長岡の京に遷り。
        ---延暦十三年 長岡の京自り平の京に遷る。
        ---延暦二十五年 御崩去。
        ---延暦四年 叡山を立つ 伝教大師最澄なり。
        ---延暦二十年 叡山八講を始め南京の十人を請ず。
       ----延暦二十一年の正月十九日 高雄に於て南京の十四人と最澄と宗論あり。
        ----同二十九日 六宗の十四人謝表を桓武聖王に奉る。
       ----延暦二十三年 入宋 同二十四年御帰朝。
 此の御時始めて伝教大師・天台宗を立つ。四十余年の文を以て六宗を破り、始めて法華の実義之を顕し、欽明自り二百余年の邪義之を改む。又六宗の碩徳たる勤操・徳円・長耀(ちょうよう)等の十四人・桓武皇帝に謝表を奉りて邪見を翻す。
 弘法大師空海は延暦二十三年御入唐、大同元年御帰朝。伝教大師は山階寺の行表僧正の御弟子、弘法大師は石淵の勤操僧正の御弟子なり。

第五十一 平城
第五十二 嵯峨----- 弘仁十三年六月四日 伝教大師御入滅。同十一日戒壇を立つ。
第五十三 淳和

秀句に云はく「法華経を賛すと雖も還つて法華の心を死(ころ)す」文。
選択集に云はく、法然造に曰く「捨閉閣抛(しゃへいかくほう)」。
善導の礼讃に云はく「十即十生百即百生」。又云はく「百の時に希に一二を得、千の時に希に三五を得」。又云はく「千中無一」。
道綽の安楽集大集月蔵経を引くに云く「我が末法の時の中の億億の衆生行を起し・道に臨むも未だ一人の得る者有らず。当今末法は是五濁の悪世なり。唯浄土の一門のみ有りて通入す可きの路なり」。
恵心の往生要集に云く「利智精進の人は未だ難しと為さず、予が如き頑魯(がんろ)の者・豈敢へてせんや」。

伝教大師 ------- 根本大師
     --------山家
    --------天台の後身なり
 守護章に「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り、法華一乗の機・今正に是れ其の時なり」。又云く「一乗の家都て用いず 小乗権大乗四十年の文。但し開し已つて助道に用いたるを除く」。

【和漢王代記】完。



【和漢王代記 本文】その一に戻る。




by johsei1129 | 2016-09-13 22:05 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)


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