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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 09月 06日

現在伝えられている最古の御書【戒体即身成仏義 その三】

【戒体即身成仏義 本文その三】
 第二に権大乗経の戒体とは、諸経に多しと云へども、梵網経・瓔珞(ようらく)経を以て本と為す。梵網経は華厳経の結経、瓔珞経は方等部浄土の三部経等の結経なり。されば法華已前の戒体をば此の二経を以て知るべし。梵網経の題目に云はく「梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品」文。此の題目を以て人天二乗を嫌ひ、仏因仏果の戒体を説かずと知るべきなり。されば天台の御釈に云はく「所被の人は唯大士の為にして二乗の為にせず」と。又云はく「既に別に部の外に菩薩戒経と称す」文。又云はく「三教の中に於ては即ち是頓教なり、仏性常住一乗の妙旨を明かす」文。三教と申すは頓教は華厳教、漸教(ぜんきょう)は阿含・方等・般若、円教は法華・涅槃なり。一乗と申すは未開会の一乗なり。法華の意を以て嫌はん時は、宣説菩薩歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう)と下すべきなり。又梵網経に云はく「一切発心の菩薩も亦誦すべし十信之に当たる十発趣十住十長養十行十金剛十向」と。又云はく「十地仏性常住妙果」已上。四十一位又は五十二位。此の経と華厳経には四十一位又五十二位の論之有り。此の経を権大乗と云ふ事は、十重禁戒・四十八軽戒を七衆同じく受くる故に小乗経には非ず。又疑ふべき処は華厳梵網の二経には別円二教を説く。別教の方は法華に異なるべし、円教の方は同じかるべし。されば華厳経には「初発心の時便ち正覚を成ず」と。梵網経には「衆生仏戒を受くれば即ち諸仏の位に入る。位大覚に同じうし已(お)はらば、真に是諸仏の子なり」文。

答へて云はく、法華已前の円の戒体を受けて、其の上に生身得忍を発得するなり。或は法華已前の円の戒体は別教の摂属なり。法華の戒体は受不受を云はず。開会すれば戒体を発得する事復是くの如し。此の経の十重禁戒とは、第一不殺生戒・第二不偸盗戒・第三不邪婬戒・第四不妄語戒・第五不酤酒戒(ふこしゅかい)・第六不説四衆過罪戒・第七不自讃毀他戒・第八不慳貪戒・第九不瞋恚戒・第十不謗三宝戒なり。又瓔珞経の戒は、題目に菩薩瓔珞本業経と云へり。此の経も梵網経の如く菩薩戒なり。此の経に五十二位を説く。経に云はく「若しは退き若しは進むとは十住以前の一切の凡夫、若しは一劫二劫乃至十劫、十信を修行して十住に入ることを得」云云。又云はく「十住・十行・十廻向・十地・等覚・妙覚」云云。此の経は一々の位に多劫を歴て仏果を成ず。菩薩は十信の位にして仏果の為に十無尽戒を持つ、二乗と成らん為に非ず。故に住前十信の位にして退すれば悪道に堕つ。又人天に生じて生を尽くせども戒体は失はず、無量劫を歴て仏果に至るまで、壊れずして金剛の如くにて有るなり。

此の経に云はく「凡聖の戒は尽く心を体となす。是の故に心亦尽くれば戒も亦尽く。菩薩戒は受法のみ有りて而も捨法無く、犯有れども失せず、未来際を尽くす」と。又云はく「心無尽なる故に戒も亦無尽なり」文。又云はく「仏子無尽戒を受け已はれば、其の受くる者四魔を過度し三界の苦を越え、生より生に至るまで此の戒を失はず、常に行人に随ひ乃至成仏す」文。


天台大師云はく「三蔵は寿を尽くし、菩薩は菩提に至る。爾の時に即ち廃す」文。此の文は小乗戒は凡夫・聖人・二乗の戒共に尽形寿の戒、菩薩戒は凡夫より仏果に至るまで、その中間に無量無辺劫を歴れども、戒体は失せずと云ふ文なり。されば此の戒は持って犯すれども、猶二乗・外道に勝れたり。故に経に云はく「有(たも)ちて犯する者は、無くして犯さゞるに勝れたり、有つは犯するも菩薩と名づけ、無きは犯さゞるも外道と名づく」文。此の文の意は、外道は菩薩戒を持たざれば戒を犯さゞれども菩薩とは名づけず、菩薩は戒を破犯すれども仏果の種子は破失せざるなり。此の梵網・瓔珞の二経は心を戒体と為す様なれども、実には色処を戒体と為すなり。小乗には身口を本体と為し、大乗には心を本体と為すと申すは一往の事なり、実には身口の表を以て戒体を発す。戒体は色法なり、故に大論に云はく「戒は是色法なり」文。故に天台の梵網経疏に「正しく戒体を出だす。第二に体を出だすとは、初めに戒体とは起こさずんば而已なん。起こさば即ち性なる無作(むさ)の仮色(けしき)なり」文。「起こさずんば而已(やみ)なん」とは、表なければ戒体発せずと云ふなり。

「起こさば即ち性なる無作の仮色なり」とは、戒体は色法と云ふ文なり。近来唐土の人師、梵網・法華の戒体の不同を弁へず、雑乱して天台の戒体を談じ失へり。瓔珞経の十無尽戒とは、第一不殺生戒・第二不偸盗戒・第三不邪淫戒・第四不妄語戒・第五不酤酒戒・第六不説四衆過罪戒・第七不慳貪戒・第八不瞋恚戒・第九不自讃毀他戒・第十不謗三宝戒なり。梵網・瓔珞の十重禁戒・十無尽戒も初めに五戒を連ねたり。大小乗の戒は五戒を本と為す。

故に涅槃経には具足根本業清浄戒とは是五戒の名なり。一切の戒を持つとも、五戒無ければ諸戒具足すること無し。五戒を持てば諸戒を持たざれども、諸戒を持つに為りぬ、諸戒を持つとも五戒を持たざれば諸戒も持たれず、故に五戒を具足根本業清浄戒と云ふ。されば天台の釈に云はく「五戒は既に是菩薩戒の根本なり」と。諸戒の模様を知らんと思はゞ、能く能く之を習ふべし。


【戒体即身成仏義 本文その四】に続く





by johsei1129 | 2016-09-06 00:08 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)
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