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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 07月 06日

 法華取要抄私記 十七 当家の法門は一切の仏・菩薩等をなげすてて、但(ただ)声をばかりに「南無妙法蓮華経・日蓮大聖人、南無妙法蓮華経・日蓮大聖人、未来を救いたまえ」と唱うべしと云う事なり。


 されば末法の本尊とは、本門の南無妙法蓮華経日蓮大聖人是れなり。是れ我等が為の能引(のういん)なり。十界の聖衆は、是れ日蓮(たい)()の十界の聖衆なり。日蓮体具の十界を顕す時に、釈迦・多宝等の十界の聖衆を書き顕し給う者なり。

されば(のう)()の人(すで)に下種の(ほっす)なる間、所具の釈迦・多宝等の十界の聖衆も皆悉く生身の妙覚の仏なり。(ほん)()の菩薩なり。本有の声聞なり乃至本有の提婆(だいば)なり。然れば則ち、本門下種の南無妙法蓮華経日蓮聖人より(ほか)に全く一法も無し。()って南無妙法蓮華経日蓮聖人を以て本尊と為し、能引とするが故に「所化(しょけ)以て同体なり」とは遊ばされたり。

(ただ)し観心本尊抄の文は一往(いちおう)文の上を遊ばされたり。全く文底(もんてい)の大事を遊ばされず。されば自ら(いま)だ遊ばされざることわりなり。()し御自身に、我を以て本尊とせよと遊ばされたらば、(いず)れの人か之を信ずべけんや。此れを以て文底に秘して、文の上を遊ばされたり。されば当家(とうけ)の習う法門は是れなり。

然るに一致宗は、吾が祖を習い失うて本尊に迷う。如何(いかん)が成仏すべけんや。

されば撰時抄の下二十八に云く「上一人より下万民に至るまで一切の仏寺一切の神寺をばなげすてて、各各声をつる(連合)べて南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱え(たなごころ)を合わせてたすけ給え、日蓮の()(ぼう)・日蓮の御房とさけび候はん」云云。

報恩抄の下三十四に云わく「(ひとつ)には日本乃至一閻(いちえん)()(だい)・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし。所謂(いわゆる)宝塔(ほうとう)の内の釈迦・多宝・(そのほか)の諸仏(ならび)に上行等の四菩薩(きょう)()となるべし」文已上。

此の御書に「本門の教主釈尊」とは久遠名字の釈尊なり。是れ則ち今日(こんにち)の日蓮聖人、()(たい)()(ゆう)(ただ)一体の御形なり。()って末法には我が身を本尊とせよと云う事を「本門の教主釈尊を本尊とすべし」とは遊ばされたり。(しか)れば則ち今日の宝塔の中の釈迦・多宝も、此の本仏の臣下・大臣なり。(いわん)や其の已外をや。(ここ)を以て「釈迦・多宝(そのほか)」とは遊ばされたり。全く今日(こんにち)の応仏昇進の釈迦・多宝を以て本尊とせよと遊ばされたるには(あら)ず。

(しか)るを一致の(やから)脱仏を以て下種の本尊と為すと云えるは(かわら)を以て玉と為し、石を以て(こがね)に執するに似たり。されば撰時抄の御文体は、上も下も智者も愚者も、末法に入って上行出世の後は、一切の仏・菩薩、一切の明神・天神(てんじん)等をなげすてて、(ただ)声をばかりに「南無妙法蓮華経・日蓮大聖人、南無妙法蓮華経・日蓮大聖人、未来を救いたまえ」と唱うべしと云う事なり。

聖人知三世抄に云わく「日蓮は一閻浮提(いちえんぶだい)第一の聖人なり」云云。


つづく


本書目次  日寛上人 文段目次



by johsei1129 | 2016-07-06 16:22 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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