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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 07月 06日

 法華取要抄私記 十五 「是経」の二字は文底の題目なり。「能持」は日蓮聖人なり。今末法に入って後は、我等が此の下種の妙法を持ち奉る、是れ則ち「能持」なり。


一 一品(いっぽん)二半は始めより終わりに至るまで等

一品二半宗は之に依るか。今(いわ)く、是れ(なお)御本意に非ず。されば大聖の御法門は従浅(じゅうせん)()(じん)の次第なり。所謂(いわゆる)外道に対して仏教第一なり。又小に対して大第一なり。又(ごん)に対して(じつ)第一なり。又迹に対して本門第一なり。又脱益(だっちゃく)に対して下種第一なり。()くの如く重々の法門あり。今は其の中に本迹相対の法門なり。()って迹に対して本門の正宗(しょうしゅう)を以て一向に滅後のためとは云うなり。

総じて此の書の第三段に、第十七番の問答料簡(りょうけん)有り。其の中に始めの九番は教相を遊ばされたり。後の八番の問答は正しく種脱相対の法門なり。(かしこ)の下にて御深意を尋ぬべきなり。されば「一品二半」とは文上を遊ばされたり。文底は末法流布(るふ)の要法なり。

依って観心本尊抄に「彼は脱、此れは種なり彼は一品二半、此れは(ただ)題目の五字なり」文云云。

一 此の()良薬(ろうやく)文。

末法の我等が為に留め置くと云う事なり。(よっ)て滅後を以て本と為す。

一 神力品に云く、仏の滅後の後を以て能く()の経を持つ故に等

(この)(きょう)」の二字は文底の題目なり。「能持(よくたもつ)」は日蓮聖人なり。今末法に入って後は、我等が此の下種の妙法を(たも)ち奉る、是れ則ち「能持」なり。されば此の本因下種の要法を唱え奉る時は、十方三世の諸仏もよろ()こび給いて「能持是経」の者を守護し給うべし。記の十・三十九に云く「若し能持と云うは四法を(たも)つなり」文。

一 (やく)王品(おうぼん)文。

「此の経は即ち()れ」等とは、「此の経」とは下種の要法なり。「人の病」とは我等衆生の事なり。「良薬」は此の下種の要法の事なり。

一 七子の中の第一

太田抄に相違の事を()()す。啓蒙の二十・二十五云云。

此の経文は耆婆(ぎば)大臣の説なり。()(しょ)の十八に云く「今云く、円家の七方便根性を取って七と為す。七子の中、逆過を起こす者に心則ち(ひとえ)に重し」云云。

一 上段に「()ず先例を引く」

(ごん)抄に云わく「五百塵点劫(じんてんごう)の説を先例と云えり」と。啓に云く「狂子服薬病尽(びょうじん)(じょ)()の例を挙げ(おわ)って、未来得脱の機の為に、此の良き良薬を留め置くに、則ち取って之を服す。毒病(どくびょう)(かい)()せしける証に備えたもう義なるべし」云云。二十七已下。

一 (こん)(りゅう)()(ぶつ)(せい)(りゅう)()(ぶつ)

次第の如く(しゃ)()(ほつ)・目連に配すべし。啓蒙は非なり。

一 頓尽(とんじん)の大菩薩

三周入実の故なり。是れ則ち新得(しんとっ)()(たぐい)なり。

一 (ほん)を以て之を論ずれば文。

一義に云く、久遠(くおん)の本なりと。一義に云く、近本なり、是れ則ち五百品に出ずる処なりと。啓に出ず云云。(せん)の一に云く「()(かく)の声聞は(もと)是れ菩薩、富楼那(ふるな)等の如し」云云。記の一の末に云く「応化は垂迹(すいじゃく)に約して全く旧聖を(はな)す。仏道は利他に約して新記の者を語す」云云。私に云く、近本という事、玄の七の文に分明(ふんみょう)なり云云。

一 「文殊(もんじゅ)」等とは。

(もん)の二・五十六・五十九、記の二・五十九・六十二、文真記の二・二十六に云云。

一 「応生(おうしょう)」とは。

玄の六・六十一。()の方便土より此の界に託生(たくしょう)するは応生なり。下方の出来(しゅったい)、妙音の東方来の相、身の(まま)にて来たる、是れ則ち応生なり云云。


つづく


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by johsei1129 | 2016-07-06 00:46 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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