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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 07月 01日

 法華取要抄私記 十二 日蓮大聖人は題目を本と為し、一部を迹と為したもう。是れ則ち本面迹裏(ほんめんしゃくり)の法門なり。されば末法流布の正体とは題目の五字に限るなり。


一 略開の経文 

師弟を答えて云わく「(われ)()の娑婆世界に於、()(のく)多羅(たら)三藐(さんみゃく)(さん)菩提(ぼだい)を得(おわ)って、此の諸の菩薩を教化示導(じどう)し」等云云。又所詮を答うるに「此の諸の菩薩は、(みな)此の娑婆世界の下、此の界の()(くう)の中に於て説いて住す」文。又下の()(じゅ)に云く「此等は是れ我が子なり、是の世界に()()す」等云云。又云く「娑婆世界の()(ほう)の空中に在って住す」文。又云く「我伽耶(がや)(じょう)()(だい)(じゅ)()()す」文。又云わく「我久遠より(このかた)(これ)()の衆を教化す」文。

(われ)伽耶城に於て」とは「我久遠より」の伽耶城なり。此れ則ち実には久遠五百塵点劫の昔の事なり。()くの如きの法門、之を聞く間、()(ろく)等の大菩薩は「(すい)脱在(だつざい)(げん)()騰本(とうほん)(しゅ)」して後、滅後の我等が為に広開近顕遠の法門を請じ給えり。(しか)るに啓運抄に「昔の伽耶は即ち今日の伽耶、今日の伽耶は即ち昔の伽耶にして、全体不二の(こころ)なり」と。恐らくは本意に(そむ)くか。

一 啓蒙二十・十四に云わく「今の文は正宗八品(はっぽん)を末法流布(るふ)の正体とする」等云云。

  私に云わく、(いま)だ此の法門を聞かず、迹門の正宗八品は凡そ末法流布の主体と云う事を。()れ天台は是迹門弘通なり。此れすら(なお)迹門の正宗のみに限らず、法華一部を以て弘通せり。但し迹面(しゃくめん)(ほん)()の修行なり。

又云く、日蓮大聖人は題目を本と為し、一部を迹と為したもう。是れ則ち本面(ほんめん)(しゃく)()の法門なり。されば末法流布の正体とは題目の五字に限るなり。何ぞ八品を流布(るふ)の正体と云わんや。御書一部の中に八品を以て正体と為す証文(これ)有りや。

(いだ)して云く、されば報恩抄の下に云く「(にょ)是我(ぜが)(もん)(かみ)の妙法蓮華経」等の文云云。

是等の文は題目を本とする証文なり。されば天台大師は一品(いっぽん)二半を本と為し、余品を迹とす。又日蓮聖人は題目を本と為し、一部を迹と為したもう。いかなれば八品(はっぽん)を以て流布の正体と云うべけんや。甚だ(だい)邪推(じゃすい)なり。(だい)僻見(びゃっけん)なり。早く邪見を改め、速やかに正法に付くべし。

問うて云わく、既に如是我聞の上の題目を本と為す、(あに)一致に非ずや。

答う、題目に二あり。一には理の題目、二は()の題目なり。理の題目は末法流布の正体に非ず、事の題目を以て正体とするなり。

御書に云く「末法に入て今日蓮が唱うる所の題目は前代(ぜんだい)に異なり自行化他に(わた)りて南無妙法蓮華経なり」と。下の十五・三十一にあり云云。


つづく


本書目次  日寛上人 文段目次



by johsei1129 | 2016-07-01 21:57 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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