2016年 06月 11日
【今此三界合文】 ■出筆時期:文応元年(1260年)三十九歳御作。 ■出筆場所:鎌倉 松葉ヶ谷の草庵と思われます。 ■出筆の経緯:大聖人は正嘉二年二月、駿河国・岩本実相寺に入り大蔵経(釈尊の一切経)を読まれ二年後に立正安国論として結実し北条時頼(最明寺入道)に献じ国家諌暁を果たします。また合わせて法華経の法門を初心の弟子・信徒の教化のため数多く述作されておられ本書もその一つです。 本抄では法華経譬喩品第三で説かれている「今此三界・皆是我有・其中衆生・悉是吾子」の偈について詳細にその義を講説されておられます。 ■ご真筆:現存しておりません。 【今此三界合文 本文】 経に云はく「我も亦為れ世の父」と。経に云はく「今此の三界は皆是我が有なり 国主なり報身なり 其の中の衆生は悉く吾が子なり 親父なり法身なり 而も今此の処は諸の患難多し、唯我一人のみ能く救護を為す 導師なり応身なりと。 今此三界の事 文句の五に云はく「一には等子。二には等車。子等しきを以ての故に則ち心等し。一切衆生等しく仏性有るに譬ふ。仏性同じきが故に等しく是子なり」と。 記の五に云はく「子等しきを以ての故に則ち心等しと言ふは、先づ子・等しきを明かさば、子に非ざること無きが故に・故に心必ず等し。其の心若し等しければ其の子必ず等し。心は即ち心性なり、故に仏性等し。皆是子なるに由るが故に心偏すること無し。財法復多し、是の故に心等し」と。 又云はく「是の故に今経一実の外・更に余法無く、一切衆生皆是吾が子なり。縁因は尚散善を収む」と。 又云はく「経に一切衆生・皆是吾が子と云ふは、大経の中に一切衆生皆大般涅槃に至らずと云ふこと無きが如し。子の義は因に在り、涅槃は果に在り。大乗の宗要此の二を逾ゆること莫し。皆悉く有りと云ふ。安んぞ権教に順じて一分無しと云はんや」と。文句の九に云はく「是我が弟子なり。我が法を弘むべし」と。 記の九に云はく「子父の法を弘むるに・世界の益有り」と。 主師親の事 涅槃経第一に云はく「今日如来・応供(おうぐ)・正遍知、衆生を憐愍し・衆生を覆護(ふご)す。等しく衆生を視ること羅睺羅(らごら)の如く、為に帰依の屋舎・室宅と作る」と。涅槃の疏一に云はく「但三号を歎ずることは、三事を明かさんと欲するなり。 初めに如来を歎ず。允(まこと)に諸仏に同じて其の尊仰を生ず。是を世の父と為す。応供とは、是上福田にして能く善業を生ず。是を世の主と為す。正遍知とは能く疑滞を破し其の智解を生ず。是を世の師と為す」と。 故に下の文に云はく「我等今より主無く・親無く、宗仰する所無し」云云。 経に云はく「世間空虚に衆生福尽き、不善の諸業増長す○我等今より救護(くご)有ること無く、宗仰する所無く、貧窮孤露(びんぐころ)なり。一旦無上世尊に遠離(おんり)したてまつらば、設ひ疑惑有りとも、当に復誰にか問ふべし」と。 又云はく「救無く護無く宗仰する所無しとは、此は無主の苦を釈す。貧窮孤露にして一旦無上世尊に遠離すとは無親の苦を釈す。設ひ疑惑有りとも当に復誰にか問ふとは無師の苦を釈す」と。 経の第二に云はく「我等今より主無く・親無く・救無く・護無く・帰無く・趣無くして貧窮飢困なり」と。 涅槃の疏第二に云はく「無主は是(これ)仏を失ひ、無親は是法を失ひ、無救は是僧を失ふ。若し主無ければ忠護する所無く、若し親無ければ孝・帰する所無く、若し師無ければ学趣く所無からん。既に主の為に護られず、又主として護るべき無きは、即ち栄無く・禄無し。是の故に貧と言ふ。既に親として帰すべき無く、又親去りて帰せざれば、即ち生無く陰無きなり。是の故に窮と言ふ。既に師として趣くべき無く、又師として趣くを示さゞれば、即ち訓無く・成無し。是の故に困と言ふ」と。 又云はく「主無く・親無ければ家を亡ぼし国を亡ぼす」と。 又云はく「一体の仏を主師親と作す」と。 又云はく「世尊を挙げて主と為すことを許し、種智を挙げて師と為すことを許し、調御を挙げて親と為すことを許す。既に主と為すことを許せば即ち其の貧を断じ、既に親と為すことを許せば即ち其の窮をのぞき、既に師と為すことを許せば即ち其の困を除く」と。 今此三界皆是我有 主 外道 天尊 色界の頂に居る三目八臂(はっぴ)の摩醯首羅天(まけいしゅらてん)・毘紐天(びちゅうてん)・大梵天王主 儒家 世尊 三皇・五帝・三王 竜逢・比干は主の恩を報ずる者なり 唯我一人能為救護 師 儒家 四聖等 外道 三仙・六師 釈迦菩薩・常啼菩薩は師の恩を報ずる者なり 其中衆生悉是吾子 親 儒家 父母六親 父方の伯父・伯母・母方の伯父・伯母・兄姉 外道 一切衆生の父母たる大梵天・毘紐天(びちゅうてん) 重華・西伯・丁蘭は孝養の者 なり、三皇已前は父母を知らず人皆禽獣に同ず 経に云はく「唯我一人のみ能く救護を為す」と。何ぞ二人救護すと云はざるや。二人なれば必ず成弁するなり。二人同心の利、金を断つ。鳥の二羽・車の両輪・日月・父母・福智・止観・日雨・両の目・仏弟子の二人、阿闍世の月光・耆婆(ぎば)、妙荘厳王の二子・二法更互に相依る。転次に左右の仏二人与力して救はざらんや。然りと雖も釈尊は敵対無きなり。十方三世の諸仏の神通利生・慈悲済度を合して対論すとも、釈迦一仏に及ぶべからず。例せば等荷擔(とうかだん)の如き者、諸蓋(しょがい)の中の無明、中に於て荷ふ所・偏に重しと云ふが如くなるべしと云云。 宝積経十五に云はく「生死険難の悪道に往来し、愚癡無智にして常に盲にして目無し。誰か能く示導し、誰か能く救護せん。唯我一人のみ示すべく救ふべし」と。 涅槃経三十五の巻の迦葉菩薩品に云はく「我処々の経中に於て説いて言はく、一人出世すれば多人利益す。一国の中に二転輪王あり一世界の中に二仏出世すといはゞ、是の処(ことわり)有ること無けん」と。 大論の九に云はく「十方恒河沙の三千大千世界を名づけて一仏国土と為す。是の中更に余仏無し。実に一の釈迦牟尼仏のみなり」と。 籤の九に云はく「十方に各釈迦の浄土有り」と。 大集経に云はく「一切衆生受くる所の苦は、皆是如来一人の苦なり」と。 涅槃経に云はく「一切衆生異の苦を受くるは、悉く是如来一人の苦なり」文。 大論三十八に云はく「仏国とは恒沙等の如き諸の三千大千世界、是を一仏土と名づく。諸仏の神力能く普遍自在にして碍(さわ)り無しと雖も・衆生度する者局り有り」文。 化城喩品に云はく「第十六は我釈迦牟尼仏なり。娑婆国土に於て阿耨多羅三藐三菩提を成ず」文。 寿量品に云はく「我常に此の娑婆世界に在って説法教化す」文。 提婆品に云はく「我釈迦如来を見たてまつるに、無量劫に於て難行苦行して功を積み・徳を累ねて未だ曽て止息したまはず。三千大千世界を観るに乃至芥子の如き計りも是菩薩にして、身命を捨てたまふ処に非ざること有ること無し」文。 斎法功徳経に云はく「復仏の言はく、尸毘王(しびおう)と為りて鳩に代はりて鷹に身を施し○是くの如く無量劫に於て難行苦行して、功を積み・徳を累ねて仏道を求め、未だ曽て止息せず。三千大千世界を観るに乃至芥子の如き許りも、我が身命を捨てし処に非ざること有ること無し。此の衆生の為の故なり。然して後に乃ち菩提の道を成ずることを得て、釈迦牟尼如来と名づく」文。 懐中に云はく「法華経二十八品に付いて、前の十四品は是迹、後の十四品は是本なり。前の十四品の中には但釈迦如来は釈氏の宮を出でて伽耶城を去りて始めて正覚を成ずることを明かす。四十余年諸の衆生の為に三乗の法を説く。人・天・修羅は皆釈迦如来・浄飯宮に於て、始めて菩提を得たまへりと謂へり」文。 又云はく「後の十四品は正しく如来久遠の成道を明かす。地涌の菩薩涌出し、先づ久成の相を顕はし、寿量品に正しく久遠の成道を説く」文。 又云はく「本門に於て亦二種有り。一には随他の本門。二には随自の法門なり。初めに随他の法門とは、五百塵点の本初の実成は正しく本行菩薩道所修の行に由る。久遠を説くと雖も其の時分を定め、遠本を明かすと雖も因に由て果を得るの義は始成の説に順ず。具に寿量品の中に説く所の五百塵点の如し」文。 また云く「次に随自の本門真実の本とは、釈迦如来は是三千世間の総体、無始より来(このかた)、本来無作の三身・法々皆具足して欠減有ること無し」と。 文に云く「如来秘密神通之力」と。 観普賢経に云く「釈迦牟尼仏を毘盧遮那偏(びるしゃなへん)一切処と名づけ、其の仏の住処を寂光土と名づく」文。 【妙法蓮華経・譬喩品第三】 [原文] 今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護 雖復教詔 而不信受 於諸欲染 貪著深故 是以方便 為説三乗 令諸衆生 知三界苦 開示演説 出世間道 [和訳] 今、此の三界は皆是れ我(釈尊)が有なり。其中の衆生は、悉く是れ吾が子なり。 而して今此の処は諸の患難(げんなん)多く、唯、我一人のみ能く救護を為すなり。 復た、教え詔(みことのり)すと雖も、而して(その教えを)信受せず。諸の欲染に於て、貪著すること深き故なり。 是を以って方便として三乗(声聞・縁覚・菩薩)を説き、諸の衆生をして、三界の苦を知ら令め、 出世間の道を開き・示し演説するなり。
by johsei1129
| 2016-06-11 22:21
| 弟子・信徒その他への消息
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