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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 06月 05日

 妙法曼荼羅供養見聞筆記 二 十界の聖衆、本尊と云わるる事は妙法の功徳に依るなり。御書に云く「妙法五字の光明にてらされて本有(ほんぬ)の尊形(そんぎょう)となる是を本尊とは申すなり」


一 当抄は佐渡已後(いご)の御書なり。文の中に真言・天台を(えら)ぶ故なり。

一 入文に三を分つ。初めに標、次に「()()妙法(曼荼羅)」の下は釈、三に「されば此の良薬を持たん女人」の下は結勧なり。  

一 「()()妙法(曼荼羅)」の

釈に亦二。初めに本尊の体徳を示し、次に「此の大(まん)()()」の下は流布(るふ)()(こく)を明かす。

初めの文に亦二。初めに本尊の(たい)を示し、次に「三世」の下は徳用を示すなり。本尊の体は五字七字の妙法なれども、其の()用は「三世の諸仏の御師」「一切の女人の成仏の印文」等となり。

問う、妙法蓮華経の五字、何ぞ本尊の(たい)云うや。

答う、十界所図(しょず)の本尊なれば、十界の聖衆、本尊と云わるることは妙法の功徳によるなり。

故に御書外の二十三・十三ウに云く「妙法五字の光明にてらされて(ほん)()尊形(そんぎょう)となる是を本尊とは申すなり」と文。

(しか)れば十界の聖衆、本尊と云わるる事は妙法の功徳に()るなり。此の時は、妙法は十界を離れず、十界は妙法を離れざるなり。故に妙法蓮華経の五字は本尊の正体(しょうたい)なり。此の本尊に人法(にんぽう)あり。法に約すれば妙法蓮華経なり。人に約すれば(ほん)()無作(むさ)(さん)(じん)なり。無作の三身とは日蓮大聖人是れなり。

御書外の二十二・十五ヲに云く「日蓮がた()しひをすみ()()なが()して・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の()(こころ)は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・()ぎたるはなし」文。

是れ人法体一なり。

御義口伝下初に云く「されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号(ほうごう)を南無妙法蓮華経と云うなり。寿量品の()の三大事とは是なり」文。

「是」とは(また)人法一体なり。一体なりと雖も(しか)も人法宛然(おんねん)なり。下も去ってこの意なり云云。  

一 (さん)()の諸仏の御師

涅槃経に云く「諸仏の師とする所は所謂(いわゆる)法なり」文。薬王品下、本疏三十一、末疏六十七に云云。御書二十七終、三十八(こん)珠女(じゅにょ)の事、()いて見よ。  

一 一切(いっさい)の女人の成仏の印文なり

「印文」とは、諸仏の実相の一印なり。経に云く「実相を説くを印と()す」文。

御書十四・三十七に云く「三世の諸仏の総勘(そうかん)(もん)にして御判(たし)かに(おし)たる正本の文書なり仏の御判とは実相の一印なり印とは判の()(みょう)なり」文。

「実相」とは法華経の(ごく)()なり。法華経の極理とは南無妙法蓮華経なり。

御書十六巻に云く「法華経の極理・南無妙法蓮華経」と文。(これ)を思え。

問う、十界(かい)(じょう)の妙法なり。何ぞ別して「女人の成仏」と云うや。

答う、所以(ゆえん)あり。

一には、今は女人の方へ(つかわ)さるる御書なるが故に、所対に随って別して女人と云う。

二には(なん)を以て()(きょう)する義なり。(いわ)く、()(ぜん)経にも一往男子の成仏は許すこと之有り。女人の成仏は一向に之を許さず。(しか)るに今経は、成仏し難き女人(なお)成仏す(いわん)や成仏し易き男子をやと云う意なり云云。

三には、一切衆生を(ことごと)く女人と名づくる義なり。是れ涅槃(ねはん)(ぎょう)の、仏性を見るを以て男子と為し、仏性を見ざるを女人と為すの意なり。(標旨、下の四十に引く)(しか)れば一切衆生に仏性を見ざる辺を以て女人と名づくと雖も、此の経を信ずるに()って成仏得道する者なり。の「此の女人()たせ給へば」等の文も亦是くの如く(こころ)()べきなり。


                         つづく

御書文段 目次



by johsei1129 | 2016-06-05 15:16 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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