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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 06月 03日

 法華取要抄私記 七 妙楽大師云く「脱は現に在りと雖も具に本種を騰ぐ」又云く「故に知んぬ今日の逗会は昔成熟の機に赴く」等云云


 問うて云く、此の(たぐい)は但八品(はっぽん)を聞いて下種と()るのみ。(なお)八品得道の者とは云うべからざる者か。其の故は、八品を聞いて即時得道せる者を八品得道とは云うべけれ、如何(いかん)

答えて云く、既に八品を聞いて仏果の種子を(くだ)し、後に熟脱するも、其の功は八品にある故に、其の本に()って八品得道の者とするなり。例せば、在世の前四味に於て得脱する者も、(なお)八品得道と云うが如し。之を思い案ずべし云云。

問うて云く、此くの如き二類、(とも)に八品得道と云わるる証文は如何。

答えて云く、太田抄に其の証文を(いだ)す。云く「涌出品に云く『是の諸の衆生は、世世より已来(このかた)常に我が()を受く乃至此の(もろもろ)の衆生は、始め我が身を見我が所説を聞いて、即ち皆信受して如来の()に入りにき』等云云、天台釈して云く『衆生(しゅじょう)()(おん)』等云云、妙楽大師の云く『(だつ)は現に在りと雖も(つぶさ)に本種を()ぐ』又云く『故に知んぬ今日(こんにち)(とう)()は昔成熟の機に(おもむ)く』等云云、経釈顕然(けんねん)の上は私の料簡(りょうけん)()たず」已上。  

此の引文は三五下種の得脱の証文とせり。然れば則ち本門は(しばら)之を置く。迹門の大通下種の類は今日得脱する者も「(すい)脱在(だつざい)(げん)()騰本(とうほん)(しゅ)」とて、本種に従って之を弁ず。依って両類(とも)に八品得道と云わるる証文顕然なり。(しか)るに(ごん)抄・啓運等の一致の(やから)は、此の義を(わきま)えざる間、直ちに文面に向って而して案ずれども、(つい)其の旨を得ざるなり。「種熟脱を論ぜず(かえ)って()(だん)に同じ」とは是れなり此の故に始終を案じて文面に向うべし。若し(しか)らずんば、文に向って塵劫を()れども、其の意を得べからざるか云云。

問う、(かみ)(くだん)の両義を以て、今の文に引き向けて傍正を判ずる様は如何。

答う、「上より下に向かって」より下は、大通下種・今日()(だつ)の者に約して判ず。次に「安楽行より」の下は在世下種・滅後為脱の(たぐい)に約して之を判じたもう者なり。

  問うて云く、第一の判の意は如何。

  答えて云く、(ひろ)く二義あり。若し得道の次第(しだい)に約せば、第一は菩薩、第二は二乗、第三は凡夫なり。今の文に「上より下に向かって次第に之を読めば」とは是れなり。若し仏の本意に()いて之を論ぜば、二乗を以て正と為し、菩薩・凡夫を以て傍とするなり。本尊抄に云く「迹門十四品の正宗の八品は一往(いちおう)之を見るに二乗を以て正と為し菩薩凡夫を以て傍と為す」と文。此くの如く傍正ありといえども、大通下種・今日為脱の(たぐい)にして「雖脱在現、具騰本種」の者なり。

  問うて云く、第二の判の意は如何。

  答えて云く、法師品已下は是れ()(つう)段なり。流通に二有り。例せば在世の四信、滅後の()(ぽん)の如し云云。一には在世の流通、二には滅後の流通なり。像法に入って天台の()(つう)是れなり。然れば則ち是れ()し順次に之を論ずる時は、在世の凡夫を以て正と為し、滅後の衆生を以て傍と()宛然(おんねん)なり。若し逆次に之を論ぜば、滅後の凡夫を以て正と為し、在世の衆生を以て傍とするなり。()って今文に判じたもうは此の一意なり。されば「之を論ずれば」とは、文・義・意の中には義を論ずる事なり。世間の人は、安楽(あんらく)(ぎょう)品より正宗の方へ逆次に文を読めば、滅後を以て正と為すと意を得たり。其の事は(はなは)だ誤り、大いなる邪見なり。


                 つづく
本書目次                             日寛上人 文段目次



by johsei1129 | 2016-06-03 22:03 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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