2016年 05月 28日
【念仏無間地獄抄】 英語版 ■出筆時期:建長七年(1255年)三十四歳御作。 ■出筆場所:鎌倉 松葉ヶ谷の草庵と思われます。 ■出筆の経緯:本抄は立宗二年後に著された書で、弟子・信徒教化のため、当時の民衆に広範囲に広まっていた法然の念仏(浄土)宗を厳しく破析した書となります。 大聖人は冒頭で「念仏は無間地獄の業因なり、法華経は成仏得道の直路なり。早く浄土宗を捨て法華経を持ち生死を離れ菩提を得可き事」と断じられておられます。 ■ご真筆:現存しておりません。 【念仏無間地獄抄 本文】 念仏は無間地獄の業因なり、法華経は成仏得道の直路なり。早く浄土宗を捨て法華経を持ち・生死を離れ・菩提を得可き事、法華経第二譬喩品に云く「若人信ぜずして此の経を毀謗せば、即ち一切世間の仏種を断ぜん。其の人命終して阿鼻獄に入らん。一劫を具足して劫尽きなば更(また)生れん。是くの如く展転して無数劫に至らん」云云。此の文の如くんば方便の念仏を信じて真実の法華を信ぜざらん者は、無間地獄に堕つ可きなり。 念仏者云く、我等が機は法華経に及ばざる間、信ぜざる計りなり。毀謗する事はなし。何の科(とが)に地獄に堕つ可きか。 法華宗云く、信ぜざる条は承伏なるか。次に毀謗と云うは即不信なり。信は道の源・功徳の母と云へり。菩薩の五十二位には十信を本と為し、十信の位には信心を始めと為し、諸の悪業煩悩は不信を本と為す云云。然(しかれ)ば譬喩品の十四誹謗も不信を以て体と為せり。今の念仏門は不信と云い誹謗と云い、争でか入阿鼻獄の句を遁れんや。 其の上浄土宗には現在の父たる教主釈尊を捨て、他人たる阿弥陀仏を信ずる故に。五逆罪の咎(とが)に依つて必ず無間大城に堕つ可きなり。経に「今此の三界は皆是我が有なり」と説き給うは主君の義なり「其の中の衆生悉く是れ吾子」と云うは父子の義なり「而るに今此の処は諸の患難(げんなん)多し、唯我一人能く救護(くご)を為す」と説き給うは師匠の義なり。而して釈尊付属の文に此の法華経をば「付属有在(ふぞくうざい)」と云云。何れの機か漏る可き、誰人か信ぜざらんや。 而るに浄土宗は主師親たる教主釈尊の付属に背き、他人たる西方極楽世界の阿弥陀如来を憑(たの)む故に主に背けり。八逆罪の凶徒なり、違勅の咎(とが)遁れ難し、即ち朝敵なり。争でか咎無けんや。次に父の釈尊を捨つる故に五逆罪の者なり。豈無間地獄に堕ちざる可けんや。次に師匠の釈尊に背く故に七逆罪の人なり。争でか悪道に堕ちざらんや。此くの如く教主釈尊は娑婆世界の衆生には主師親の三徳を備へて大恩の仏にて御坐(おわ)す。此の仏を捨て・他方の仏を信じ・弥陀薬師大日等を憑み奉る人は、二十逆罪の咎に依つて悪道に堕つ可きなり。 浄土の三部経とは釈尊一代五時の説教の内・第三方等部の内より出でたり。此の四巻三部の経は全く釈尊の本意に非ず、三世諸仏出世の本懐にも非ず。唯暫く衆生誘引の方便なり。譬えば塔をくむに足代(あししろ)をゆふが如し。念仏は足代なり法華は宝塔なり。法華を説き給ふまでの方便なり。法華の塔を説き給ひて後は念仏の足代をば切り捨(すつ)べきなり。然るに法華経を説き給ふて後、念仏に執著するは塔をくみ立て後・足代に著して塔を用ひざる人の如し。豈違背の咎無からんや。 然れば法華の序分 ・無量義経には「四十余年未だ真実を顕はさず」と説き給ふて念仏の法門を打ち破り給う。正宗法華経には「正直に方便を捨てゝ但(ただ)無上道を説く」と宣べ給ひて念仏三昧を捨て給う。之に依って阿弥陀経の対告衆長老・舎利弗尊者・阿弥陀経を打ち捨て法華経に帰伏して華光如来と成り畢んぬ。四十八願付属の阿難尊者も浄土の三部経を抛(なげうち)て法華経を受持して山海慧自在通王仏と成り畢んぬ。阿弥陀経の長老舎利弗は千二百の羅漢の中に智慧第一の上首の大声聞・閻浮提第一の大智者なり、肩を並ぶる人なし。阿難尊者は多聞第一の極聖・釈尊一代の説法を空(そら)に誦せし広学の智人なり。かかる極位の大阿羅漢すら尚往生成仏の望みを遂げず。仏在世の祖師・此くの如し。祖師の跡を踏む可くば三部経を抛ちて法華経を信じ無上菩提を成ず可き者なり。 仏の滅後に於ては祖師先徳多しと雖も大唐楊州の善導和尚にまさる人なし。唐土第一の高祖なり云云。始めは楊州の明勝と云える聖人を師と為して法華経を習たりしが、道綽(どうしゃく)禅師に値つて浄土宗に移り、法華経を捨て念仏者と成れり。一代聖教に於て聖道・浄土の二門を立てたり。法華経等の諸大乗経をば聖道門と名く、自力の行と嫌えり。聖道門を修行して成仏を願わん人は、百人にまれに一人・二人、千人にまれに三人・五人得道する者や有んずらん、乃至千人に一人も得道なき事も有るべし。観経等の三部経を浄土門と名け、此の浄土門を修行して他力本願を憑んで往生を願わん者は十即十生・百即百生とて十人は十人・百人は百人、決定往生す可しとすすめたり。観無量寿経を所依と為して四巻の疏(しょ)を作る。玄義分・序分義・定善義・散善義是なり。其の外法事讃上下・般舟讃(はんじゅさん)・往生礼讃・観念法門経、此等を九帖の疏と名けたり。善導念仏し給へば口より仏の出で給うと云つて称名念仏一遍を作すに三体づつ口より出で給ひけりと伝へたり。毎日の所作には阿弥陀経六十巻・念仏十万遍是を欠く事なし。諸の戒品を持つて一戒も破らず。三依は身の皮の如く脱ぐ事なく、鉢瓶(はちびょう)は両眼の如く身を離さず精進潔斎(しょうじん・けっさい)す。女人を見ずして一期生・不眠三十年なりと自歎す。 凡そ善導の行儀法則を云へば酒肉五辛を制止して口に齧(か)まず手に取らず、未来の諸の比丘も是くの如く行ずべしと定めたり。一度酒を飲み・肉を食い・五辛等を食い・念仏申さん者は三百万劫が間・地獄に堕す可しと禁しめたり。善導が行儀法則は本律の制に過ぎたり。法然房が起請文にも書き載せたり。一天四海・善導和尚を以て善知識と仰ぎ、貴賤上下皆悉く念仏者と成れり。 但し一代聖教の大王・三世諸仏の本懐たる法華の文には「若し法を聞くこと有らん者は無一不成仏」と説き給へり。善導は法華経を行ぜん者は千人に一人も得道の者有る可からずと定む。何れの説に付く可きか。無量義経には念仏をば未顕真実とて実(まこと)に非ずと言ふ。法華経には「正直捨方便・但説無上道」とて、正直に念仏の観経を捨て無上道の法華経を持つ可しと言ふ。此の両説水火なり、何れの辺に付く可きや。善導が言を信じて法華経を捨つ可きか、法華経を信じて善導の義を捨つ可きか如何。夫れ一切衆生・皆成仏道の法華経、一たび法華経を聞かば決定して菩提を成ぜんの妙典、善導が一言に破れて千中無一虚妄の法と成り、無得道教と云はれ・平等大慧の巨益(こやく)は虚妄(こもう)と成り・多宝如来の皆是真実の証明の御言妄語と成るか。十方諸仏の上至(じょうし)梵天の広長舌も破られ給ぬ。三世諸仏の大怨敵と為り、十方如来・成仏の種子を失う大謗法の科(とが)甚だ重し。大罪報の至り無間大城の業因なり。 之に依つて忽(たちまち)に物狂いにや成りけん、所居の寺の前の柳の木に登りて自ら頚(くび)をくくりて身を投げ死し畢んぬ。邪法のたたり・踵(きびす)を回さず、冥罰爰(みょうばち・ここ)に見たり。最後臨終の言に云く、此の身厭う可し。諸苦に責められ・暫くも休息無しと。即ち所居の寺の前の柳の木に登り、西に向い願つて曰く、仏の威神以て我を取り、観音・勢至来つて又我を扶けたまえと唱え畢つて青柳の上より身を投げて自絶す云云。三月十七日くびを・くくりて飛たりける程に、くくり縄や切れけん・柳の枝や折れけん、大旱魃の堅土(かたつち)の上に落ちて・腰骨を打ち折(くじ)きて二十四日に至るまで七日七夜の間、悶絶躄地(もんぜつ・びゃくち)しておめき・さけびて死し畢ぬ。 さればにや是程の高祖をば往生の人の内には入れざるらんと覚ゆ。此の事全く余宗の誹謗に非ず、法華宗の妄語にも非ず、善導和尚自筆の類聚伝(るいじゅでん)の文なり云云。而も流れを酌む者は其の源を忘れず、法を行ずる者は其の師の跡を踏む可し云云。浄土門に入つて師の跡を踏む可くば、臨終の時・善導が如く自害有る可きか。念仏者として頚(くび)をくくらずんば師に背く咎有る可きか如何。 日本国には法然上人、浄土宗の高祖なり。十七歳にして一切経を習ひ極め、天台六十巻に渡り・八宗を兼学して一代聖教の大意を得たりとののしり、天下無雙の智者山門第一の学匠なり云云。然るに天魔や其の身に入にけん、広学多聞の智慧も空(むなし)く諸宗の頂上たる天台宗を打ち捨て・八宗の外なる念仏者の法師と成りにけり。大臣公卿の身を捨て民百姓と成るが如し。選択集と申す文を作つて一代五時の聖教を難破し、念仏往生の一門を立てたり。仏説法滅尽経に云く「五濁悪世には魔道興盛し魔・沙門と作つて我が道を壊乱(えらん)し、悪人転(うた)た海中の沙の如く、善人甚だ少くして若は一人・若は二人ならん」云云。即ち法然房是なりと山門の状に書かれたり。 我が浄土宗の専修の一行をば五種の正行と定め、権実顕密の諸大乗をば五種の雑行と簡(きらい)て、浄土門の正行をば善導の如く決定往生と勧めたり。観経等の浄土の三部経の外・一代顕密の諸大乗経・大般若経を始めと為して終り法常住経に至るまで、貞元録(じょうげんろく)に載する所の六百三十七部・二千八百八十三巻は皆是千中無一の徒物(いたずらもの)なり、永く得道有る可からず、難行・聖道門をば門を閉じ・之を抛(なげう)ち・之を閣(さしお)き・之を捨て・浄土門に入る可しと勧めたり。一天の貴賤首(こうべ)を傾け、四海の道俗掌(たなごころ)を合せ、或は勢至の化身と号し、或は善導の再誕と仰ぎ、一天四海になびかぬ木草なし。智慧は日月の如く、世間を照して肩を並ぶる人なし。名徳は一天に充ちて善導に超え、曇鸞・道綽にも勝れたり。貴賤・上下・皆選択集を以て仏法の明鏡なりと思い、道俗・男女悉く法然房を以て生身の弥陀と仰ぐ。然りと雖も恭敬(くぎょう)供養する者は愚癡迷惑の在俗の人、帰依渇仰する人は無智放逸の邪見の輩なり。権者に於ては之を用いず、賢哲又之に随うこと無し。 然る間、斗賀尾(とがのお)の明慧房は天下無雙の智人・広学多聞の明匠なり。摧邪輪三巻を造つて選択の邪義を破し、三井寺の長吏・実胤(じついん)大僧正は希代の学者・名誉の才人なり、浄土決疑集三巻を作つて専修の悪行を難じ、比叡山の住侶・仏頂房・隆真法橋は天下無雙の学匠・山門探題(たんだい)の棟梁なり。弾選択上下を造つて法然房が邪義を責む。しかのみならず南都・山門・三井より度度奏聞を経て法然が選択の邪義・亡国の基(もとい)為るの旨訴え申すに依つて人王八十三代・土御門院の御宇・承元元年二月上旬に専修念仏の張本たる安楽・住蓮等を捕縛(めしとら)え、忽ちに頭を刎ねられ畢んぬ。法然房源空は遠流の重科に沈み畢んぬ。其の時・摂政左大臣家実(いえざね)と申すは近衛(このえ)殿の御事なり。此の事は皇代記に見えたり誰か之を疑わん。 しかのみならず法然房死去の後も又重ねて山門より訴え申すに依つて、人皇八十五代・後堀河院の御宇(ぎょ・う)嘉禄三年、京都六箇所の本所より法然房が選択集・並びに印版を責め出して大講堂の庭に取り上げて三千の大衆会合し、三世の仏恩を報じ奉るなりとて之れを焼失せしめ、法然房が墓所をば犬神人(つるめそう)に仰せ付けて之れを掘り出して鴨河(かもがわ)に流され畢んぬ。 宣旨・院宣・関白殿下の御教書を五畿・七道に成し下されて、六十六箇国に念仏の行者・一日片時も之れを置く可からず、対馬の島に追い遣る可きの旨・諸国の国司に仰せ付けられ畢んぬ。此等の次第・両六波羅の注進状・関東相模守の請文等明鏡なる者なり。 嘉禄三年(注・1227年)七月五日に山門に下さるる宣旨に云く。 専修念仏の行は諸宗衰微の基(もとい)なり。茲(ここ)に因つて代代の御門・頻(しきり)に厳旨を降され、殊に禁遏(きんあつ)を加うる所なり。而るを頃年又興行を構へ山門訴え申さしむるの間・先符に任せて仰せ下さるること先に畢んぬ。 其の上且は仏法の陵夷を禁ぜんが為、且は衆徒の欝訴(うっそ)を優(やわらぐる)に依つて其の根本と謂はるゝ隆寛・成覚・空阿弥陀仏等を以て其の身を遠流に処せしむ可きの由・不日に宣下せらるる所なり。余党に於ては其の在所を尋ね捜して帝土を追却す可きなり。此の上は早く愁訴を慰(やすん)じて蜂起を停止す可きの旨・時刻を回(めぐら)さず御下知有る可く候。者(ていれば)綸言此の如し頼隆・誠恐・頓首謹言。 七月五日酉刻 右中弁頼隆奉わる 進上天台座主大僧正御房政所 同七月十三日山門に下さるる宣旨に云く。 専修念仏興行の輩を停止(ちょうじ)す可きの由・五畿七道に宣下せられ畢んぬ。且御存知有る可く候。綸言此の如く之を悉(つまびらか)にす・頼隆・誠恐・頓首謹言。 七月十三日 右中弁頼隆奉わる 進上天台座主大僧正御房政所 殿下御教書 専修念仏の事、五畿七道に仰せて永く停止せらる可きの由・先日宣下せられ候い畢んぬ。而るを諸国に尚其の聞え有り云云。宣旨の状を守つて沙汰致す可きの由・地頭守護所等に仰せ付けらる可きの旨・山門訴え申し候。御存知有る可く候。此の旨を以て沙汰申さしめ給う可き由・殿下の御気色(みけしき)候所なり。仍て執達件(くだん)の如し。 嘉禄三年十月十日 参議範輔在り判 武 蔵 守 殿 永尊竪者の状に云く、此の十一日に大衆僉議して云く、法然房所造の選択は謗法の書なり。天下之を止め置く可からず。仍て在在所所の所持並びに其の印板を大講堂に取り上げて三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしめ畢んぬ。又云く法然上人の墓所をば感神院の犬神人(つるめそう)に仰せ付けて破却せしめ畢んぬ。 嘉禄三年十月十五日・隆真法橋申して云く、専修念仏は亡国の本為(た)る可き旨文理之有りと。 山門より雲居寺に送る状に云く、邪師源空・存生の間には永く罪条に沈み、滅後の今は且死骨を刎ねられ、其の邪類・住蓮・安楽・死を原野に賜い、成覚・薩生は刑を遠流に蒙る。殆ど此の現罰を以て其の後報を察す可し云云。 嗚呼(ああ)世法の方を云えば違勅の者と成り、帝王の勅勘を蒙り、今に御赦免の天気之れ無し。心有る臣下万民・誰人か彼の宗に於て布施供養を展ぶ可きや。仏法の方を云えば正法誹謗の罪人為り・無間地獄の業類なり。何れの輩か念仏門に於て恭敬(くぎょう)礼拝を致す可きや。庶幾(こいねがわ)くば末代今の浄土宗・仏在世の祖師、舎利弗・阿難等の如く浄土宗を抛(なげう)つて法華経を持ち、菩提の素懐を遂ぐ可き者か。 日 蓮 花 押
by johsei1129
| 2016-05-28 23:21
| 弟子・信徒その他への消息
|
Trackback
|
Comments(0)
|
アバウト
カレンダー
カテゴリ
全体 御書 INDEX・略歴 WRITING OF NICHIREN 観心本尊抄(御書五大部) 開目抄(御書五大部) 撰時抄(御書五大部) 報恩抄(御書五大部) 立正安国論(御書五大部) 御書十大部(五大部除く) 日蓮正宗総本山大石寺 重要法門(十大部除く) 血脈・相伝・講義 短文御書修正版 御義口伝 日興上人 日寛上人 六巻抄 日寛上人 御書文段 小説 日蓮の生涯 上 小説 日蓮の生涯 中 小説 日蓮の生涯 下 LIFE OF NICHIREN 日蓮正宗関連リンク 南条時光(上野殿) 阿仏房・千日尼 曾谷入道 妙法比丘尼 大田乗明・尼御前 四条金吾・日眼女 富木常忍・尼御前 池上兄弟 弟子・信徒その他への消息 釈尊・鳩摩羅什・日蓮大聖人 日蓮正宗 宗門史 創価破析 草稿 富士宗学要集 法華経28品 並開結 重要御書修正版 検索
以前の記事
2025年 04月 2025年 03月 2024年 10月 2024年 09月 2024年 08月 2024年 07月 2024年 06月 2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 01月 お気に入りブログ
最新のコメント
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
タグ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||