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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 05月 21日

妙法曼荼羅供養抄記 五  諸門流の曼陀羅には日蓮上人の判なし


一 成仏の印文とは

「印」とは即ち是れ判なり。又是れ決定(けつじょう)の義なり。世の証文の如し。即ち判形(はんぎょう)を以て用いて信と為すなり。譬えば伝国の(ぎょく)()の如し。(命を天に受く。既に寿永く昌んなり。)

  御書三十五・三十四に「又(えん)()王宮にしては何とか仰せあるべき、おこがましき事とはおぼ()すとも其の時は日蓮が檀那なりとこそ仰せあらんずらめ乃至又日蓮が弟子となのるとも日蓮が判を(もた)ざらん者をば御用いあるべからず南無妙法蓮華経」と云云。

  諸門流の(まん)()()には日蓮聖人の判なし云云、云云。相伝有り。

  当門流の弟子檀那は、御判(たし)かにすわりたる手続(てつぎ)文書(もんじょ)、本門の本尊を受持するが故に、決定(けつじょう)して成仏すること疑無し。

  「我が滅度の後に於て(乃至)決定して疑い有ること無けん」とは是れなり。「(まさ)()の経を受持すべし」とは、応に本尊を受持すべしとなり。「是の人(乃至)決定」とは即ち是れ成仏の印文なり。(ひきがえる)の事。

一 冥途(めいど)にてはともしびとなり。

  荘厳論に云く「命尽き終る時、大黒闇を見れば深岸に墜するが如く、(ひと)り広野を()くに判侶有ること無し」文。

讃歎抄十九に云く「(まさ)しく魂去る時、目に黒闇を見て高き処より底へ()ち入るが如し。(ただ)独り渺々(びょうびょう)たる広き野原に迷うなり。其の時の有様思いやるこそ心細く悲しけれ」云云。

止七四十七に云く「聚斂(しゅうれん)未だ足らざるに(こう)(ぜん)として長く往きぬ。所有の産貨(いたずら)に他の有と為す。冥々(めいめい)として独り行く、誰か是非を()わん」等云云。

牛頭(ごず)(けつ)の初めに云く「所決の法門七百余科、皆是れ生死の野を越ゆる牢強(けんきょう)の目足なり」と。

和泉式部云く「暗きより暗き道にぞ入りぬべき (はる)かに照らせ 山端(やまのは)の月」。

書写山の聖空の事。和語記。

時に此の妙法曼陀羅、大灯明(とうみょう)と成るなり。闇に灯を得たるが如しとは是れなり。 

一 死出(しで)の山。

 讃歎抄に云く「心ならず行く程に死出の山に至る。此の山高くして(けわ)し。獄卒(ごくそつ)()(もよお)されて泣く泣く山路にかかる。岩のかど剣の如くなれば歩まんとすれども歩まれず。此の山遠き八百里、(けわ)しきこと壁に向えるが如し。嶺より(おろ)(あらし)はげしく(はだえ)(とお)し骨髄に入る」(新定五四)等云云。

  太宰(だざい)高遠(たかとお)、夢の告げに云く

古郷(ふるさと)へ行く人もがな告げやらん 

 しらぬ山路にひとり迷うと

 千載集(せんざいしゅう)鳥羽(とばの)(いん)

常よりもむつまじき(かな)(ほと)(とぎす

       死出の山路の友とおもえば

生まるる()子を失い給いければ、伊勢

死出の山()えてやきつる時鳥 

 恋しき人の上たらなん

  水戸光圀(みつくに)

時鳥なれ()もひとりはさびしきに

 われをいざなえ死出の旅路たびじに  



つづく

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by johsei1129 | 2016-05-21 11:48 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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