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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 05月 16日

 如説修行抄筆記 終  本門の本尊を念じ、本門の本尊に向い、口に南無妙法蓮華経と唱うる時は、身口意の三業に折伏を行ずる者なり、身口意の三業に法華を信ずる人なり云云。 


一 (こえ)も惜まず

宝塔品の「大音声(おんじょう)を以って(あまね)く四衆に告げたまわく」の経文に合すべし。

一 天台(てんだい)大師。

摂受(しょうじゅ)の時、折伏有り。折伏の時、摂受有るなり。書三・四十九に云云。

一 ()(おう)の大難

(しゅ)(だつ)相対なり。天台・伝教等は種熟の異なり。本迹・事理の不同なり。

二十八巻に云く「天台・伝教等の御時(おんとき)には理なり、今は()なり、観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門(しゃくもん)の一念三千・此れは本門の一念三千なり」文。

一 (あわれ)なるかな等

此の下は(けっ)(かん)なり。第三巻終、合せ見るべし。

一 (いち)()を過ぐる事

此の下は(かい)(かん)なり。初めは誡門、「(たと)(くび)をば」の下は勧門なり。「ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」とは勧持品の「(まさ)忍辱(にんにく)(よろい)()るべし」及び涌出品の「精進(しょうじん)の鎧を()」の文の意なり。啓運抄三十九・十に云く「瞋恚(しんに)剣をば忍辱の鎧(これ)を防ぐ。()(だい)剣をば精進の剣(これ)を防ぐ」文。

今の御文言の意、当に精進の鎧を()るべし。退する心無く、忍辱の鎧を著れば、恐るる心無ければなり云云。 

一 南無妙法蓮華経。

御書五・二十八、九に云く「南無妙法蓮華経乃至日蓮の御房」。「南無日蓮聖人」等文。人法一()の御本尊の事なり。今の文に「南無妙法蓮華経」は法、「釈迦・多宝」は人なり。「霊山」と云うは娑婆(しゃば)(そく)寂光(じゃっこう)なり。

祖師(そし)御約束の事。

録外五・七に云く「相かまへて相かまへて自他の生死(しょうじ)()らねども御臨終のきざみ中間(ちゅうげん)に日蓮かならず・むか()いにまいり候べし」文。

「手をとり肩に引()けて」等文。此れ法師品の「即ち如来の肩に()(たん)せらるることを()ん」の文の意なり云云。

一 二聖・二天・(じゅう)()刹女(せつにょ)

陀羅尼(だらに)品の(たい)()なり。経に云く「焼香、(ばん)(がい)」文。

一 此の書御身(おんみ)を離さず常に()(らん)有る可く候。

啓蒙・(ごん)抄の意は、(たと)い常に此の書を(くび)にかけ懐中(かいちゅう)したりとも、此の書の(こころ)を忘れて折伏修行せざれば「離さず」に非ずと云云。

私に云く、常に心に折伏を忘れて四()の名言を思わずんば、心が謗法(ほうぼう)なるなり。口に折伏を言わずんば、口が謗法に同ずるなり。手に数珠(じゅず)を持ちて本尊に向わずんば、身が謗法に同ずるなり。

故に法華本門の本尊を念じ、本門寿量の本尊に向い、口に法華本門寿量文底(もんてい)下種・()の一念三千の南無妙法蓮華経と唱うる時は、(しん)()()三業(さんごう)に折伏を行ずる者なり。是れ(すなわ)ち身口意の三業に法華を信ずる人なり云云。
  

見聞(けんもん)(おわ)んぬ。                     

            ()(ざん)二十六世()(ほう) (だい)()日寛 在判




本書目次                       日寛上人 文段目次



by johsei1129 | 2016-05-16 21:40 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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