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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 05月 09日

 如説修行抄筆記 十  大白牛車に乗じて四方に遊ぶ。此れに乗る事は信心第一なり。


一 仏勅を(こうむ)りて

時に約すれば、経文に「悪世末法の時」と。亦「(のち)の五百歳中広宣流布」文。国土に約すれば、経文に「誰か()娑婆(しゃば)国土に於て」と。又「娑婆世界に(おのずか)ら又六万」文。教に約すれば、宝塔品に「広く妙法華経を説かん」と。涌出(ゆしゅつ)(ほん)に云く「広く此の経を説かん」と。神力(じんりき)(ほん)の四句の要法等云云。

一 法王

薬草品に云く「()を破する法王」文。授記品に云く「大雄猛(だいおうみょう)()(そん) 諸釈の法王」文。

一 経文に任せて権実二教のい()さを起し

  問う、「経文に任せて大小・権実・本迹の(いくさ)」と云うべし。何ぞ(ただ)「権実」と云うや。

  答う、玄義第七・三十六に云く「通じて論ずれば、本迹は(ただ)是れ権実なり」文。故に権実の言に本迹を()ぬるなり。是れ則ち迹権本実の故なり。

一 忍辱(にんにく)(よろい)文。

勧持品に云く「当に忍辱の鎧を()るべし」文

一 妙教の(つるぎ)文。

今経は()く元品の無明(むみょう)を切る利剣なりと云云。十七・三十五

一 妙法五字の旗を指上(さしあげ)

(いくさ)には旗じるしを肝要とす。今(また)()くの如し。権実の法論の場所なれば、未曽(みぞ)()の旗を指し上げて仏法の勝相を表するなり。

人記品の下の啓運抄の終りに、()(ちゅう)を引いて「経に『(しょう)(ばん)』というは、什師の云く『外国には敵を破るに勝つことを得る(とき)は勝幡を()つ。道場には魔を降すに亦()の勝相を表するなり』」等云云。()れを以て当文に合すれば、諸宗は法華経の敵なり。今妙法の旗を以て其の敵を破るなり。是れは(たとえ)の意なり。

亦諸宗は三毒五欲の煩悩なり。(なお)悪鬼(あっき)(にゅう)()(しん)の大魔王なり。今此の法華経は能く煩悩の賊を(くだ)き、四魔を降伏(ごうぶく)するなり。録外二十三、日女御前御書に云く「法華弘通(ぐつう)の旗じるしとして」等云云。合せ見るべし。

一 未顕真実の弓をはり正直捨権の()をはげて

弓あれども箭なければ(せん)無し。箭はあれども弓なければ無用なり。法華経に「正直捨方便」と説きたもうとも、無量義経に「四十余年未顕(みけん)真実」の文無くんば、法華経に指示する処の方便は(いず)れの経ぞや、(はか)り難し。(しか)るに無量義経の文を以て之を見れば、四十余年の諸経(ことごと)く方便なりと知る。故に弓矢具足(ぐそく)するが如し。

二句の文を弓箭(きゅうせん)に相配するに表示ありや。

答えて云く、弓は其の(かたち)曲りて直ならず。四十余年の諸経の不正直なるを未顕真実と説く故に、形を以て(これ)(るい)して「未顕真実の弓」と判じ、()は直なる物なれば正直の法華に対す。正直に方便を捨てて後は(ただ)一実(えん)(どん)の妙法なり。故に各々其の形を以て其の法体(ほったい)の正直・不正直を顕す者なり。(あるい)必ずしも表示を求むべからず。仏意(はか)るべきが故なり。(しょ)の四、御義口伝上二十二云云。

一 大白(だいびゃく)()(しゃ)に打乗って

経に云く「是の宝車に乗じて四方に遊ぶ」文。亦云く「(じょう)()宝乗(ほうじょう)(じき)()道場(どうじょう)」文。「打乗って」とは本門の題目を受持する事なり。御義口伝下四十七。此の宝乗に乗じて(ただ)ちに道場に至るを以て、受持と題目とに判ずるなり。「道場」は極果(ごっか)なり。「乗此」とは因なり。(せん)の五に云く「此の因(かわ)らざる故に(じき)()と云う」と。()れに乗る事は信心第一なり。録外二十五・四。


つづく


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by johsei1129 | 2016-05-09 06:26 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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