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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 05月 07日

 如説修行抄筆記 八  松葉ヶ谷、伊豆配流、小松原、竜口・佐渡流罪、是れを四箇の大難とすべきか。猶考うべし。


一 (あるい)は両度の()(かん)()文。

一度は(こう)(ちょう)元年辛酉(かのととり)五月十二日、伊豆の伊東へ流されたもう。四恩抄の大旨云云。一度は文永八年辛未(かのとひつじ)九月十二日、(たつの)(くち)より(ただ)ちに佐渡へ流さるるなり。

 開目抄上三十一に云く「少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり」文。之に付いて四()の大難に異説あり。一には伊東配流、小松原、(たつの)(くち)、佐渡流罪、是れを四度とするなり。

御書二十二・三十一に云く「弘長元年辛酉(かのととり)五月十二日には伊豆(いず)の国へ流罪、文永元年甲子(きのえね)十一月十一日頭にきず()()ほり左の手を打ちをらる、同文永八年辛未(かのとひつじ)九月十二日佐渡の国へ(はい)()(くび)の座に(のぞ)む、其の外に弟子を殺され切られ(おい)(だし)くわ()れう()等かずをしらず」文。此の文は佐渡流罪と竜口は別にして四()度とする様なり。

十八巻十三に云く「或は(くび)をきられんとし、或は流罪両度に及べり」文。此の文(また)別に挙げたり。

亦一説に、松葉()(やつ)の夜打ちを加えて竜口・佐渡を合するなり。

 私に云く、竜口・佐渡流罪は一処なり。二十六巻三十八に云く「去る文永八年九月十二日に()て一分の(とが)もなくして佐土の国へ流罪せらる、外には(おん)()(きこ)えしかども内には頚を切ると定めぬ予又(かね)て此の事を推せし」等云云。此の文を以て考うるに、佐渡流罪と竜口と内外の沙汰(さた)不同なり。故に別に之を()げたもうか。諸抄の御妙判に「国主より御勘気二度」とあり。此れ伊豆と佐渡となり。(しか)るに佐渡流罪の日限を九月十二日と遊ばされたり。次上(つぎかみ)に引く御書に云云。

十八巻十九に云く「()ぬる文永八年九月十二日には御かん()()をかほりて北国佐渡の島にうつ()されて候いしなり」文。

十三巻四十二に云く「()ぬる文永八年九月十二日に佐渡の国に流さる」文。

十三巻四十二に「念仏者等此の(よし)を聞きて上下の諸人をかたらひ打ち殺さんとせし程に・かなはざりしかば、長時(ながとき)武蔵(むさし)(こう)殿(どの)は極楽寺殿の御子なりし故に親の御心を知りて理不(りふ)(じん)に伊豆の国へ流し給いぬ」文。

二十六・三十六に云く「(しょう)()元年に書を一巻注したりしを故最明寺の入道殿に奉る乃至夜中に日蓮が小庵(しょうあん)に数千人押し寄せて殺害せんとせしかども乃至日蓮が(いま)だ生きたる不思議なりとて伊豆の国へ流しぬ」文。

此等の大旨を見るに、夜打ちを加えて四箇の大難とすべきか。(なお)考うべし云云。


             つづく


 本書目次                     日寛上人 文段目次



by johsei1129 | 2016-05-07 10:52 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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