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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 05月 05日

 如説修行抄筆記 六 宗祖の弘経は「有(あり)のままの妙法」なり。故に「真実の法華経の行者」と云うなり


一 (いか)(いわん)や末法等

是れより下は末法に当てて「況滅(きょうめつ)度後(どご)」の文を釈す。二あり。初めは正釈、四意あり。一(のう)()に約し、二は弟子に約し、三には調(じょう)()に約し、四は法体(ほったい)に約す。在世に対して(こころ)()べき者なり。

一 (いか)(いわん)や。

「悪師には親近(しんごん)す」まで(かん)すべきか。何に況や凡師なり、何に況や三毒(ごう)(じょう)の弟子なり、何に況や調機調養無き故に、善師をば(おん)()し、悪師には親近(しんごん)するなり。

一 末法今の時。

()の教相なり。「末法」とは時なり。機・教は文に分明(ふんみょう)なり。「時刻(とう)(らい)す」とは流布(るふ)の前後なり。略して国土を()げざるなり。師弟をいわば住処は(おのずか)ら顕るるなり。

一 其の師を(たず)ぬれば凡師なり

此の下は末法の師弟・人法・自行化他を明かすなり。題号に合すべきなり。(また)此の下は宗旨の三()を釈するなり。「其の師」とは(にん)の本尊なり。御義口伝下九二十五丁。「真実の法華経」とは本門の題目なり。妙法五字は本尊と云われ、題目と云わるる両辺あり。今、(にん)の本尊に対して題目と云うなり。一()三箇の開合、之を思え。

後日(ごじつ)云く、真実の法華経とは法の本尊にして、如説修行は題目か、案ずべし。

一 故に善師をば(おん)()し等

此れは調機(じょうき)等に対して見るべし。意に云く、人非人等有りと雖も調機調養せる故に怨嫉有るべからず。而るに(なお)(これ)有り。何に況や末法には、調機調(じょう)(よう)無き故に必ず大難有るとなり。

一 ()の上真実の法華経

「其の上」とは()(きょう)の意なり。「真実の法華経」とは在世の脱益に対す。故に此れは下種の法華経なり。是れ則ち(しゅ)(だつ)相対なり。

  問う、釈尊所説の法華経は真実に(あら)ずや。

  答えて云く、此れ真実なり。今文は下種に対する故なり。下種無き(だつ)は「超高(ちょうこう)が位にのぼる」等なり。開目抄下十一に云うなり。在世に法華経に於て得脱することは()(おん)の下種を顕す故なり。妙楽云く「脱は現に在りと雖も(つぶさ)に本種を()ぐ」文。下種は本なり、脱は迹なり。脱益(だっちゃく)の真実なる事は下種の真実なるが故なり。今は功を種に帰せしめて、別して「真実」と云うなり。(また)像法天台の()(きょう)に対するなり。
 御書に云く「正直の妙法を止観と説きまぎらかす故に(あり)のままの妙法ならざれば帯権(たいごん)の法に似たり」文。宗祖の弘経は「(あり)のままの妙法」なり。故に「真実の法華経の行者」と
云うなり。


           つづく


  本書目次                   日寛上人 文段目次



by johsei1129 | 2016-05-05 10:25 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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