日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 04月 30日

 如説修行抄筆記 一  宗教の五箇(か)に依って宗旨の三箇を弘通(ぐつう)すれば必ず三類の大難あり



       如説修行抄筆記
           大貳(だいに)()日寛記



一 此の抄の大意は、宗教の五()に依って宗旨の三()を弘通すれば必ず三類の大難あるの相を御書して、宗祖の弟子、如説修行の人なることを判じたまうなり。

一 題号とは(つう)(べつ)あり。通に亦二有り。

初めに内外・大小に通ずることを云わば、外道の四韋陀(しいだ)十八大経は如説なり。其の所説の如く修行する故に如説修行なり。儒道には仁義(じんぎ)等の五常を明かして、其の如く修行すれば如説修行なり。故に開目抄に云く「此等の聖人に三墳(さんぷん)・五典・三史等の三千余巻の書あり乃至(ただ)現在に家を治め孝をいたし堅く五常を行ずれば(ぼう)(ばい)も・うやまい」等と云云。此れは儒家の如説修行なり。

開目抄の上に云く「此の三仙の所説を韋陀(しいだ)と号す、六万蔵あり乃至各各(おのおの)・自師の義をうけて堅く(しゅう)するゆへに或は冬寒に一日に三度・(ごう)()に浴し(乃至)此等の邪義其の数をしらず」云云。此れは外道(げどう)の如説修行なり。

  仏道に於て四教五時あれども、其の教の如く修行するは如説修行なり。(ほう)()等の菩薩は華厳経の如説修行の人なり。迦葉(かしょう)・舎利弗は阿含(あごん)三蔵の如説修行の人なり。文殊(もんじゅ)弥勒(みろく)等の諸菩薩は方等・般若(はんにゃ)・法華経の迹門及び涅槃(ねはん)経の如説修行の人なり。上行(じょうぎょう)等の菩薩は本門寿量の如説修行の人なり。故に御書五巻三十・四五に云く「華厳経を(たも)てる普賢菩薩・解脱(げだつ)(がつ)菩薩等」云云。」

  次に在世滅後に通ずることは、此れに(また)三あり。

一に人法相対に約し、二に師弟相対に約し、三に自行(じぎょう)()()に約するなり。

一には人法相対に約するなり。(いわ)く、如説は法に約し、修行は人に約す。在世に於て之をいわば、釈尊所説の一代経は法なり。其の所説の如く(みずか)之を行ずるは修行なり。経に云く「我れ(もと)菩薩の(どう)を行じて」文。「菩薩の道」とは法なり。「行」は修行なり。「我」とは人なり。故に修行は人に約するなり。釈尊の所説とは妙法蓮華経なり。経文に「唯以(ゆいい)一大事」文。修行とは妙法蓮華経なり。経文に「(ことごと)く諸仏の無量の道法(どうほう)を行ず」文。亦「我れ(もと)菩薩の道を行じて」文。御書二十三に云く、云云。

次に師弟相対に約せば、如説とは師説なり。修行とは弟子に約す。謂く、師の所説の如く弟子(これ)を修行す、是れ如説修行なり。在世に於ては釈尊の所説の如く、一会(いちえ)の大衆之を修行す。薬草品に云く「其れ衆生有って、如来の法を聞いて、()しは(たも)ち、読誦(どくじゅ)し、説の如く修行す」文。「()れ衆生有って」とは弟子なり。「如来」とは師なり。「法」とは所説の法なり。「若しは持ち、読誦し」とは修行なり。此の一文、弟子の人法に約すること分明(ふんみょう)なり。

三に自行化他に約す。如説とは化他なり。修行とは自行なり。謂く、五種法師の中に四は自行なり。(げせつ)は化他なり。(みずか)ら妙法を受持、読、(じゅ)、書写するは自らの修行なり。他を教えてなさしむるは化他なり。他に教ゆるは如説なり。他に教ゆる(ごと)く自ら修行する、此れ如説修行なり。(しゃく)に云く「行ずる所は言う所の如く、言う所は行ずる所の如し」文。「言う所」とは所説なり。「行ずる所」とは修行なり。滅後に於ても()の三あり。宗祖に於ても此の三あり。宗祖の如く、口に妙法を説き、身に妙法を修行し、其の所説の妙法を弟子檀那(だんな)修行するなり。弟子檀那に教ゆるは()()なり。自ら修行するは自行なり云云。四巻二十三ヲ


              つづく


 本書目次                    日寛上人 文段目次



by johsei1129 | 2016-04-30 12:21 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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