第三に善知識に五箇の習う事あり。
一 臨終には知識を勧むる事が肝心なる事、譬えば牧の馬を取るが如しの事
一 常に善知識を得んことを祈るべし、並びに兼ねて之を頼り置くべき事
一 若し死病と定まらば早く病人に告知すべし、用捨無用の事
一 只今と見る時、耳の側によりてすすむべき事
一 死後六時七時も屍を動かすべからざる事
第四に看病人に三箇の習う事あり。
一 世間の雑談並びに病人の執心を残すべき事を一切語るべからざる事
一 紙にて水を少しずつ口に潤すべき事
一 一切病人の心に障らざるように取り扱うべき事
阿祇陀王、一念の瞋にて大蛇と成る事。弘の一中に云く「臨終に報を受くること、復強きに従って索く」文
第五に臨終の作法に五箇条の事
一 其の処に清浄にして本尊を掛け奉り、香華灯明を備うべき事
一 遅からず速からず、断えず鐘を打つべき事、
鐘の声を聞いて苦を忘るる事、けいにた王並びに知興の事
一 家中にて魚鳥を焼くべからざる事
一 魚鳥五辛を食し並びに酒酔の人は門内に入るべからざる事
一 病人の近き処には五三人に過ぐべからざる事
第六に死相に善悪の習いあり
御書十九・六十三に、黒白、軽重、強弱云云
問う、父母・師匠、臨終に悪相あらば、隠すを以て孝とせんや、顕すを以て孝とせんや
外十三・二十三に「所詮臨終只今にありと解りて信心を致して南無妙法蓮華経と唱うる人を『是人命終為千仏授手(中略)と説かれて候』と。
又二十五に云く「相構えて相構えて強盛の大信力を致して南無妙法蓮華経、臨終正念と祈念し給へ、生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ(乃至)信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」と。
徒然の四十九段に云わく「老い来たって始めて道を行ぜんと待つ事なかれ。古き墳、多くは是れ少年の人なり。寒山の詩に曰く、老い来たるを待って始めて道を学ぶこと莫れ 昔ありける聖は、人来たって自他の要用を云ふ時、『火急の事あり、既に朝夕にせまれり』とて、耳をふさぎ聞かざるなり。心戒と云ふ聖は、うずくまりてのみぞ有りける、『三界六道には心易くしりさしすへて居る所なき故なり』とぞ」と。
文段 目次