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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 04月 24日

 当体義抄文段 終章  寛師、宗祖御誕生の第五百年に相当るの日、講じ畢(おわ)んぬ。我らは今、八百年なり。


一 問う末法今時(こんじ)等文。

 此の下は三に末法今時の証得の人を明かす、亦二。初めに正しく明かし、次に「問う南岳(なんがく)」の下は、正像未弘(みぐ)を以て末法流布を顕す。

 初めの正しく明かすに、亦二。初めに()(えら)び、「然るに」の下は()を顕す。

 初めの非を簡ぶに、亦三。初めに正しく簡び、次に「仏説いて」の下は証を引き、三に「日蓮」の下は(しゃく)(じょう)  

一 (しか)るに日蓮が一門等文。

 此の下は()を顕す。

「邪法・邪師」等とは、内外・大小・権実・本迹等、重々に(あい)んで之を論ずべし。亦(まさ)に宗教の五()に約して、末法今時の(じゃ)(しょう)を判ずべし云云。「当体蓮華を証得して」等とは、是れ本門の本尊に当り、「(じょう)寂光(じゃっこう)の当体の妙理を顕す」等とは、是れ本門の戒壇に当るなり。

 当に知るべし、我等、本門の本尊、本有無作の当体蓮華を証得して、我が身(そく)本門寿量の当体の蓮華仏と顕れ、所住の処は(そく)戒壇の寂光当体の妙理を顕さんことは、本門内証の寿量品・本因(ほんにん)(みょう)の教主の金言を信じて本門寿量の肝心(かんじん)・南無妙法蓮華経と唱うる故なり云云。是れ本門の題目に当るなり。  

一 本門寿量の教主の金言等文。

 「教主」と言うは、(すなわ)ち是れ内証の寿量品・本因妙の教主・蓮祖大聖人の御事なり。

問う、今「本門寿量の教主」とは、(まさ)に是れ在世の本門寿量の教主なるべし。何ぞ末法の蓮祖を「本門寿量の教主」と名づくべけんや。

 答う、吾が蓮祖大聖人は久遠(がん)(じょ)の自受用報身、即ち是れ末法下種の主師親、後の五百歳に出現し、始めて之を()(せん)したもう。(あに)本因妙の教主に非ずや。(いわん)儒者(じゅしゃ)は三皇・五帝を以て教主と為す。故に補註(ふちゅう)十二・十四に云く「()()れ儒者は(すなわ)ち三皇・五帝を以て教主と為す乃至此の(ふん)(でん)を以て天下を化す。(ちゅう)()(もう)()より(しも)は、(ただ)是れ儒教を伝うるの人なり。(なお)教主に非ず、況や其の余をや」云云。

 真言宗は無畏(むい)を以て教主と為す。故に、宋高僧伝の第三・無畏伝に云く「開元の始め、玄宗(げんそう)、夢に真僧と相(まみ)ゆ。丹青(たんせい)(ぎょ)して之を写す。()(ここ)に至るに及んで夢と符号す。(みかど)悦び(ない)道場(どうじょう)を飾って尊びて教主と為す」等云云。釈書の第一・十紙も之に同じ。

 華厳宗は(なお)浄源法師を以て中興の教主と名づく。統紀の第三十・十一紙に云云。

 天台宗には智者大師を以て正しく教主と為す。故に止観第一初に云く「止観の明静(みょうじょう)なること、前代に未だ聞かず。智者、大隋(だいずい)の開皇十四年、(いち)()()(よう)す」等云云。()の一上八に云く「止観の二字は正しく聞体(もんたい)を示し、明静の二字は体徳を(たん)ずるなり。前代未聞とは能聞(のうもん)の人を明かし、智者の二字は即ち是れ教主なり。大隋等とは説教の時なり」文。(しか)れば則ち宗々の祖師を以て教主と名づくること、即ち是れ古例あり。汝、何ぞ之を(あや)しむや。

問う、久遠元初の自受用身とは即ち是れ釈尊の御事なり。何ぞ蓮祖の御事ならんや。蓮祖は是れ本化(ぽんげ)の上行菩薩なり。何ぞ久遠元初の自受用身と云わんや。

 答う、是れ当流独歩の相承(そうじょう)にして、他流の未だ(かつ)て知らざる所なり云云。(しばら)(たい)()の相承に例して、仰いで之を信ずべし。  

 (いわ)く、天台大師は薬王菩薩の再誕とは、(ただ)是れ一往の義なり。実には釈尊と一体なり。故に伝法護国論に云く「天台大師、道は諸宗に(うるお)い、名は三国に(ふる)う。竜智、天竺に在って(さん)じて云く、(しん)(たん)の小釈迦、広く法華経を開いて、一念に三千を具し()(しょう)皆成仏すと」云云。等海口伝の三・九に云く「異朝の人師は、天台をば小釈迦と云う。釈尊の智海、竜樹の(じん)()、天台の内観(ないがん)、三祖一体なり。此の時は、天台と釈尊と、一体にして不同無し」已上。  

又、伝教大師は天台の後身とは、亦是れ一往なり。実には是れ釈尊と一体なり。書註二・十四に山川(さんせん)(えん)()を引いて云く「釈迦、大教を伝うるの師たり、大千界を()るに、葦原(あしわら)中国(なかつくに)は此れ霊地なり。(たちま)(ひとり)(おきな)有り乃至()の時の叟とは(しら)(ひげの)(かみ)なり。爾の時の釈迦は伝教(これ)なり。故に薬師を以て中堂の本尊と為す。此れは是れ寿量の大薬師を表す。(しか)も像法の転時、薬師仏と号す」等云云。台家(なお)(しか)なり、(いわん)(また)当流の(じん)()をや。何ぞ之を疑うべけんや。

「金言」と云うは、釈尊の本尊は法華経なり。蓮祖の法華経は本尊なり。()意、知るべし。



                             当体義抄文段(おわ)んぬ。 

    

亨保(きょうほう)(かのと)(うし)歳二月十六日  日寛 華押

  宗祖誕生の第五百年に(あい)当るの日、講じ畢んぬ。


当体義抄文段 目次



by johsei1129 | 2016-04-24 09:50 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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