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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 04月 23日

当体義抄文段 十八  爾前迹門乃至真実の断惑は寿量の一品を聞きし時なり


一 具足(ぐそく)の道を聞かんと(ほっ)。(注:この御文、御書全集に拝せず、平成新編に拝す)

  爾前の円の菩薩、今経に(きた)て始めて因果具足の道を聞かんと欲す。故に知んぬ、爾前の円の菩薩は迹門の蓮華を知らざるなり。故に此の文は、最も(まさ)此処(ここ)に在るべし。(さき)之を引き入れたるは伝写の(あやま)りなり。  

一 ()(ぜん)迹門(しゃくもん)の菩薩は乃至当分の断惑(だんなく)にして()(せつ)の断惑に非ず。

  是の下は(ふく)()(しゃ)、亦三。初めに理難を遮し、次に「然れば」の文は文難を遮し、三に「故に爾前」の下は反詰(はんきつ)

  問う、当分・()(せつ)の相は()(かん)

  答う、爾前にも一分(いちぶん)断惑証理の義分ありと雖も、()の経には下種を明かさず。故に「当分の断惑にして跨節の断惑に非ず」と云うなり。迹門には大通(だいつう)下種を明かす、故に跨節の断惑証理なり。(しか)りと雖も未だ()(おん)下種を明かさず。故に本門に対するの時は、当分の断惑にして跨節の断惑に非ざるなり。本門に(おい)ては久遠下種を明かす、故に跨節の断惑なり。

  宗祖云く(いま)(しゅ)(じゅく)(だつ)を論ぜず(かえ)って()(だん)に同じ」云云。又云く「種を知らざるの脱なれば、超高(ちょうこう)道鏡の如し」(取意)等云云。之を思い合すべし。

  (にっ)(ちょう)・日講は当分・跨節の意を知らず。「迹門にして未だ断惑証理を極めざる辺を当分と云うなり」等と云う。所破に足らざる僻見(びゃっけん)なり。彼、(なお)権実相対の当分・跨節を知らず。(いわん)や本迹相対をや。(いか)に况や種脱相対をや。(つぶさ)には()三重秘伝抄の如し。  

一 故に爾前迹門乃至真実(しんじつ)の断惑は寿量の一品を聞きし時なり

  此の文は三に反詰(はんきつ)するなり。是れ本門の真実の断惑を以て爾前・迹門の当分の断惑を結する故なり。  

一 天台大師・涌出(ゆじゅつ)(ほん)文。

  下に文証を引く、亦二。初めに(まさ)しく引き、次に「然るを当世」の下は他を破す、亦二。初めに略して破し、次に「文の(ごと)きは」の下は広く破す。  

一 爾前迹門の当分に(みょう)(がく)の位有りと(いえど)も等

  此の下は権迹(ごんしゃく)の教主に約するなり。 

一 爾前の衆と(しゃっ)()の衆とは等

  此の下は()(えら)ぶ中の第三、結文なり。  

一 故に知ぬ本門寿量の(せつ)顕れての後は等

  此の下は第二に()を顕す、亦三。初めに正しく明かし、次に「伝教」の下は証を引き、三に「女人」の下は結。

 追って本門寿量の真仏(しんぶつ)の事。

 種脱の両仏、今は(なに)仏を指すや。答う云云。



当体義抄文段 目次



by johsei1129 | 2016-04-23 08:55 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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