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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 04月 19日

 当体義抄文段 十四  今本因・本果とは、即ち是れ種家の本因・本果なるのみ。釈尊既に爾(しか)なり、蓮祖も亦爾なり


一 問う(こっ)(しょ)より已来(このかた)

 此の下は大段の第二、能証の人を明かす、亦三。初めに如来の自証()()を明かし、二には仏在世の証得の人を明かし、三には末法の証得の人を明かす。

 初めの文、亦二。初めに本地の自証を明かし、次に「世世」の下は垂迹(すいじゃく)化他を明かす。  

一 釈尊五百塵点劫(じんてんごう)当初(そのかみ)此の妙法の当体蓮華を証得して

 此の文は(ほん)()の自証を明かすなり。「五百塵点の当初」とは、即ち是れ本地なり。「釈尊」とは是れ能証の人、「妙法の当体蓮華」とは是れ所証の法なり。

問う、「五百塵点の当初」とは、正しく(いず)れの時を指すや。

答う、諸門流の意は皆天台に准じて、本果第一番の時を指して五百塵点の当初(そのかみ)と云うなり。是れ則ち不相伝の故なり。若し当流の意は、久遠元初の(みょう)()凡夫の御時を指して五百塵点の当初と云うなり。「当初」の両字に(こころ)を留めて案ずべし。

  此の名字凡夫の御時(おんとき)、妙法当体の蓮華を証得したもうを本門寿量の当体の蓮華仏と名づくるなり。(また)久遠元初の自受(ゆう)(しん)と名づけ、亦久遠名字の報身とも名づくるなり。所証の法をば久遠名字の妙法とも名づくるなり。

  問う、証文は如何(いかん)

  答う、是れ秘文なりと雖も、(しばら)く一文を引かん。

  総勘文抄に云く「釈迦如来・五百塵点の当初(そのかみ)・凡夫にて御坐(おわ)せし時」等云云。

  血脈抄に云く「久遠(じつ)(じょう)の名字の妙法を余行にわたさず」等云云。

  三大秘法抄の「久遠実成の当初(そのかみ)」等の文も、之に(じゅん)じて知るべし云云。

  問う、釈尊は久遠五百塵点劫の当初(そのかみ)(いか)なる法を修行して妙法の当体蓮華を証得せしや。

  答う、是れ種家の本因妙の修行に()るなり。(さき)の文に云く「聖人此の法を師と為して修行覚道(かくどう)し給えば妙因・妙果・()()感得(かんとく)し給う」等云云。文に「聖人」とは、則ち是れ名字(みょうじ)(そく)の釈尊なり。故に()(みょう)に当るなり。後を以て之を呼ぶ故に「聖人」と云うなり。此の名字凡夫の釈尊、一念三千の妙法蓮華を以て本尊と為す。故に「此の法を師と為す」と云う。則ち是れ(きょう)(みょう)なり。「修行」等とは、修行に()(じゅう)有り。始めは是れ信心、終わりは是れ唱題なり。信心は是れ()(みょう)なり。唱題は是れ(ぎょう)(みょう)なり。故に「修行」の両字は智・行の二妙に当るなり。是の境・智・行・位を合して本因(ほんにん)妙と為す。是の本因妙の修行に依って、即座(そくざ)に本果に至る故に「妙因・妙果・()()に感得し給う」と云うなり。(すなわ)ち今の文に「妙法の当体蓮華を証得して」と云うは是れなり。(いま)本因・本果とは、即ち是れ種家の本因・本果なるのみ。釈尊既に(しか)なり、蓮祖も(また)爾なり云云。  

一 世世(せせ)番番(ばんばん)成道(じょうどう)を唱え能証(のうしょう)所証(しょしょう)の本理を顕し給えり

  此の下は垂迹化他、亦二。初めに中間(ちゅうげん)、次に今日(こんにち)此の一文は正しく中間を明かすなり。

  問う、言う所の中間とは、第二番已後(いご)を指すや。

  答う、諸門流の意は天台に(じゅん)ずるが故に、実に所問の如し。若し当流の意は、本地既に久遠名字を指す。故に本果を以て(なお)中間に属ずるなり。

  問う、若し(しか)らば、本果成道を以て垂迹化他に属するや。

  答う、実に所問の如し。文一・二十一ウに云く「(ただ)本地の四仏」等云云。(せん)の七に云く「久遠に(また)四教有り」等云云。又云く「既に四教の(せん)(じん)不同有り。故に知んぬ、不同なるは(さだ)めて迹に属す」云云。記の一に云く「化他定まらず、(また)八教有り」等云云。

  本果成道に既に四教の四仏有り。(また)四教・八教有り。垂迹化他なること分明なり。並びに是れ内証の寿量品の意なり。文上(もんじょう)の意には非ざるなり。又玄文の第七の三世料簡(りょうけん)の初めに、久遠元初を本地自証と為し、本果已後(いご)を垂迹化他に属する明文(これ)あり。台家の学者、此の義を知らず。異論紛紜(ふんうん)たり云云。

  問う、「能証所証の本理を顕す」とは、其の(こころ)如何。

答う、略する(とき)は顕本の両字なり。当に知るべし、世々番々の説法の儀式は、今日に(ことな)ること無きなり。爾前に於て種々の(そう)()を施し、迹門に至って開三(かいさん)顕一(けんいち)の蓮華を説き、本門に至って(かい)(ごん)(けん)(のん)の蓮華を顕し、内証の寿量品に本地(なん)()の境智の冥合、(ほん)()無作(むさ)の当体の蓮華を顕す。故に「能証所証の本理を顕す」と云うなり。

  能証は是れ智、所証は是れ境。則ち是れ本地難思の境智の冥合(みょうごう)、本有無作の当体の蓮華なり。

  兄弟抄に云く「法華経の(ごく)()・南無妙法蓮華経」等云云。


                      つづく

当体義抄文段 目次



by johsei1129 | 2016-04-19 21:55 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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