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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 04月 17日

 当体義抄文段 十二  真理の中に於て清浄の因果を具す、是くの如きを蓮華と名づく、即ち是れ当体の蓮華なり。


一 問う天台大師等

是の下は三に、解釈(げしゃく)を引いて(ほん)()無作(むさ)の当体蓮華を明かす、亦二。初めに解釈を引き、次に「此の釈」の下は所引の文を釈す。

初めに解釈を引くに、亦三と為す。初めに()()の釈を示し、次に当体の釈を(いだ)し、三に合説の文を引く。

次の文を釈するに、亦三と為す。初めに(まさ)しく本有無作の当体蓮華を明かし、次に「故に伝教」の下は、証を引いて()って合説の意を示し、三に「又(こっ)(しょ)に」の下は、因って譬喩の意を示す。

 問う、是の下は(つぶさ)に当体、譬喩及び合説の文を引く。故に啓蒙等の意は、(ただ)天台の釈相を(いだ)すと云う。(いま)別して、何ぞ(ほん)()無作の当体蓮華を明かすと云うや。

 答う、今の正意は、本有無作の当体蓮華を顕すに在る故なり。(いわ)く、所詮の法を明かす中に、初めには(ひろ)法体(ほったい)に約して(つう)()之を論じ、次には別して信受に約して之を明かす。信受に約する中に至って初めに(しばら)(ひろ)く釈し、次に文底(もんてい)の意に約して「本門寿量の当体蓮華」等と云う。此の「当体蓮華の仏」の根源を明かさんと(ほっ)するが故に、今、解釈を引いて本有無作の当体蓮華を明かすなり。

此の下には、通じて譬喩及び合説の文を引くと雖も(あるい)は略して文を引き、或は之を釈する時は、便(びん)に因って一言之を示す。若し当体に至っては(つぶさ)其の文を引き、具に其の義を釈し、(なお)文証を引く。故に知んぬ、今の正意なること明らかなり。故に今、(しょう)に従って科目を(ひょう)す、故に本有無作の当体蓮華を明かすと云うなり。  

一 ()()の蓮華とは()開廃(かいはい)

  是れ、玄文第一の序王の(しも)を指すなり。

  問う、別して蓮華を以て妙法に誓うる意は()(かん)

  答う、蓮華は多奇なるが故なり。余の(はな)は妙法を顕すに()えざる故なり。余の華に多種あり、(しばら)く七種を()げん。

  一には無華有菓。()の木及び(いち)(じく)の如し。(せん)の一の本に云く「広州(こうしゅう)に木有り。華さかずして実あり。実は皮よりして出ず。柘榴(ざくろ)の大きさの如し。色赤く、煮て食すべし。数日()わざれば、化して虫と成る。(あり)の如く(はね)有り。能く飛んで人の屋に()く」等云云。又一熟の如きは、華さかずして実なる。実は葉の(きわ)に生ず。或る人云く「此の一熟を(うもれ)()と云うなり」と。古歌に云く「埋木の花咲くことも無かりしに身のなる()ては(あわ)れなりけり」等云云。

  二には有華無菓。山吹(やまぶき)等の如し。集義和書八・二十二に云く「太田道灌(どうかん)(かり)に出でて、民家にて(みの)をかる。其の妻、(ことば)は無くて、山吹の花一枝を指し置きぬ。後に和歌を知る人云く、是れ古歌の意なり。『七重(ななえ)八重(やえ)花は咲けども山吹の みのひとつだになきぞあやしき』。是れより道灌、()(どう)を学ぶ」云云。  

  三には一華多菓。胡麻(ごま)芥子(けし)等の如し。

  四には多華一菓。桃・(すもも)等の如し。

  五には一華一菓。柿等の如し。

  六には前菓後華。(うり)・稲等の如し。

  七には前華後菓。一切の草木、多分は(しか)なり

  当に知るべし、華は因なり、菓は果なり。故に「因果」の二字を神道(しんとう)にては「ハナ・コノミ」とよむなり。仏家の義も亦此くの如し。然るに此等は因果に一多、前後等ありて、妙法を顕すに堪えざるなり。(ただ)此の蓮華のみ、因果倶時にして微妙(みみょう)清浄なり。故に妙法に譬うるなり。(つぶさ)には玄文第一、第七等の如し。  

一 聖人理を観じて准則(じゅんそく)して名を作る

  光明玄記の上百二・十四に云く「俗には(もと)名無し、真に随って名を立つ。(こっ)(しょ)の如きは、万物に名無し。聖人、仰いで真法に(のっと)り、()して俗号を立つ。理の能く通ずるが如きは、真に()って以て道と名づく。理の尊貴なるが如きは、真に依って以て宝と名づく。理の能く該羅(がいら)するが如きは、真に依って以て網と名づく」(該羅:ことごとく連なる。羅は網の意)等云云。

  故に知んぬ、真理の中に於て清浄(しょうじょう)の因果を具す、()くの如きを蓮華と名づく、即ち是れ当体の蓮華なり。万物皆(しか)なり。准例して知るべし。玄文に(たとえ)を挙げて云く、云云。(かしこ)(くも)の糸を見て(あみ)を結ぶが如く「聖人理を観じて准則(じゅんそく)して名を作る」等なり。是れ一分の譬なるのみ。


                     つづく 

当体義抄文段 目次



by johsei1129 | 2016-04-17 09:08 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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