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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 04月 02日

法華取要抄文段 四十  「是好良薬」「今留在此」「汝可取服」は本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目を証す


 問う、別して「是好良薬」の一文を引いて第四段の本門の本尊を証する(こころ)は如何。

答う、此の一文、人法体一の本尊を説き顕す故なり。(いわ)く、此の一文に「色香美味」の三徳を具足する故なり。経に云く「此大良薬、色香美味」等云云。天台云く「色は是れ般若(はんにゃ)、香は是れ解脱(げだつ)、味は是れ(ほっ)(しん)なり、三法の不縦(ふじゅう)不横(ふおう)なるを秘密の(ぞう)と名づく。教に依って修行して此の蔵に入ることを()ん」等云云。此の法身・般若・解脱の三徳を以てたいしゅうゆうに約するときは、即ち法の本尊を成ず。妙楽云く「体等の三章はただ是れ三徳」等云云。

当に知るべし「色は是れ般若」とは即ち妙宗なり。「香は是れ解脱」とは即ち妙用(みょうゆう)なり。「味は是れ法身」とは即ち妙体なり。「秘密の蔵」は即ち是れ妙名なり。「()(きょう)修行」は、即ち是れ妙教なり。

宗祖云く「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体(みょうたい)宗用(しゅうゆう)(きょう)の南無妙法蓮華経是なり」云云。

(あに)法の本尊に非ずや。又若し法身・般若・解脱の三徳を以て三身に約するときは、即ちにんの本尊なり。

宗祖云く「法身とは法身如来・般若とは報身如来・解脱とは(おう)(じん)如来」等云云。

故に知んぬ、色は是れ般若・報身如来、香は是れ解脱・応身如来、味は是れ(ほっ)(しん)即ち法身如来なり。此れは是れ久遠元初の自受用報身、報中論三の無作(むさ)三身なり。境は是れ法身、智は是れ報身、境智合する(とき)は必ず慈悲有り。慈悲は即ち応身なり。

此の無作(むさ)三身とは、御義口伝に云く「されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり」云云。

「秘密の(ぞう)」とは無作三身の宝号なり。故に御義口伝に云く「無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」云云。

()(きょう)修行」とは無作三身の所作(しょさ)なり。故に御義口伝に云く「無作の三身の所作は何物なにものぞと云う時南無妙法蓮華経なり」等云云。

故に此の文に(にん)の本尊是れ分明なり。

当に知るべし、三章三身異なりと雖も其の体は(ただ)是れ三徳なり。(あに)人法体一に非ずや。譬えば()()の造る所の(やく)(どう)の如し。秘すべし、秘すべし云云。

  問う、別して「今留在(こんるざい)()」の文を引いて、第五段の本門の戒壇を証する意は如何。

  答う、此の文は是れ本尊所在の処を明かす故なり。本門の本尊所在の処、(あに)本門の戒壇に非ずや。  

  問う、別して「(にょ)可取服(かしゅぶく)」の文を引いて、第六段の本門の題目を証する意は如何。

  答う、此の文に信行具足して、本門の題目分明(ふんみょう)なるが故なり。所謂(いわゆる)「取」は是れ信心「服」は是れ唱題なり。(およ)そ「取」と言うは手を以て之を取る、故に信心なり。大論の第一に云く「経の中に信を説いて手と()す。手有って宝山に入れば自在に()く取るが如し」文。当に知るべし「取」は是れ(ゆう)なり。「手」は是れ体なり。今、用を挙げて体を(あらわ)。故に「取」の字は是れ信心なり。云う所の「服」とは、口を以て之を服す。故に是れ唱題なり。(さき)(じゅん)じて知るべし。天台云く「修行を服と名づく」等云云。(しか)れば則ち本門の題目(はなは)だ以て分明なり。

  今(しばら)く一文を引いて、前の六段を証し(おわ)んぬ。其の外の諸文、予が依義判文抄の如し。


つづく


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by johsei1129 | 2016-04-02 09:43 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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