【覚性房御返事】
■出筆時期:建治二年(1277) 五十六歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本消息は北条門下の強信徒・弥源太入道に問題が生じ、嘆いている事を知らされた大聖人が、同じ北条一門の覚性房に、主君にこのことを申し伝えるよう依頼された内容となっております。
文中の「むかはき」とは古語の[むかはる]に、報いとなってあらわれる、とありますので、弥源太入道が何か重い病にかかったのではと推察され、その事で幕府の勤めに支障がでることを大聖人が心配され、覚性房にその辺の事情を主君によく伝えるよう依頼されたものと思われます。
大聖人は四条金吾に対しても主君への対応について度々指導されておられます。法華経信仰を貫く上で支障となることに対し、日本国の一切衆生の父として、信徒に対する深い慈愛を感じざる得ません。
尚、弥源太入道は鎌倉幕府中枢にいて大聖人の佐渡流罪赦免を知ると、鎌倉帰還時の警護の為と思われる太刀ふた振りを、佐渡の大聖人にご供養されておられます。この経緯については
【弥源太殿御返事:文永11年2月21日】を参照して下さい。
■ご真筆:京都市 妙蓮寺(一紙)所蔵。
【覚性房御返事 本文】
いやげんた(弥源太)
入道のなげ
き候しかば、
むかはきと
覚性御房、
このよしを
かみ(上)へ申させ
給ひ候へ。
恐々謹言。
七月十八日 日蓮花押
覚性御房