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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 03月 31日

法華取要抄文段 三八  「然るに本弟子は元より近迹(ごんしゃく)を知れり、今の弟子は猶(なお)遠本(おんぽん)に迷う」


 問う、一致門流に(ほぼ)三意有り。
 一には機情昇進に約すれば則ち一往(いちおう)勝劣あり。開迹顕本に約すれば則ち再往一致なり。
 二には迹機の所見に約すれば則ち一往勝劣あり
本化(ほんげ)の知見に約すれば(すなわ)ち再往一致なり。
 三には二門
有りと(いえど)も通じて妙法と名づく。妙法の題号に(あに)勝劣有らんや。故に諸抄の中に本迹勝劣を判じたもうは、是れ一往の(ぼう)()なり。(ただ)天台()()の迹を破せんが為なり。若し「一一文文是れ真仏」、「妙法蓮華経の五字は一部八巻の肝心(かんじん)」(取意)と判じたもうは再往の正義(しょうぎ)是れ「予が読む所の迹」の意に()るなり云云。此の義如何。

答う、開迹顕本に約する時にも(なお)勝劣あり。
 故に十法界抄に云く「若し本門顕れ(おわ)りぬれば迹門の仏因は即ち本門の仏果なるが故に天月水月本有(ほんぬ)の法と成りて本迹(とも)に三世常住と顕るるなり」云云。

既に「天月水月」と云う(あに)体内の本迹勝劣は宛然(おんねん)なるに非ずや。例せば体内の権実に(なお)勝劣有るが如し。何ぞ本迹一致といわんや。

本化(ほんげ)・迹機の所見は異なると雖も、本化の知見に(なお)勝劣有り。故に妙楽大師の記の九本二に云く「(しか)るに本弟子は(もと)より近迹(ごんしゃく)を知れり、今の弟子は(なお)遠本(おんぽん)に迷う」等云云。文の意は、本化の菩薩は(ただ)遠本を知るのみに非ず、(また)元より近迹を知れり。故に「然るに本弟子は(もと)より近迹を知れり」と云うなり。今の弟子は近迹を知らざるのみに(あら)ず、(なお)(また)遠本に迷う。故に「今の弟子は猶遠本に迷う」と云うなり。譬えば、本化の智人は(ただ)天月を知るのみに非ず、(もと)より水月をも知れり。迹機(しゃっき)獼猴(みこう)は水月を知らざるのみに非ず、(なお)天月を知らざるが如し。故に知んぬ、迹機は(なお)体外(たいげ)の本迹に(くら)し、本化は尚体内の本迹に明らかなり。何ぞ本化の知見、本迹一致と云わんや。故に体外(たいげ)・体内、一往・再往、(とも)に本迹勝劣なり。

又題号の如き(しばら)く二意あり。一には名通(みょうつう)一往、二には義別再往なり。彼等の義の如くんば、(ただ)是れ名通一往の義なり。義別再往とは本迹の妙法、其の義は永く別なり。(いわ)く、迹門は開権顕実の妙法、本門は開迹顕本(けんぽん)の妙法なり。(つぶさ)には玄文の如し。義別分明(ふんみょう)なり。何ぞ一往妙法の()同じきを以て、(かえ)って再往本迹一致とせんや。()し名通に(しゅう)し、()いて一致と云わば、(まさ)是れ一代一致なるべきや。

(疑って云く)()正記(しょうき)の第八に云く「通じて一代を指して(とも)に妙法と名づく」等云云。又中阿含の第三に云く「(しゃ)利子(りし)の所説は妙中の妙なり」。金光明経の「甚深の妙法」、般若(はんにゃ)経の「般若の妙法」、皆是れ一致ならんや。妙楽大師の(せん)・五十八に云く「(あに)()くの如き、妙中の妙等の名を以て、()法体(ほったい)を定めんや。()の故に(すべから)く名の下の義を以て、而して之を簡別(かんべつ)すべし」等云云。(あに)義別再往の実義にずや。若し諸抄の中の「一一文文()れ真仏」は、是れ(ごん)(じつ)相対、一往の所判なり。「妙法蓮華経の五字は一部八巻の肝心」(取意)等とは、(また)是れ名通一往なり。故に諸抄の中に本迹勝劣を判じて「本門寿量の肝心(かんじん)云うは、是れ再往(さいおう)の実説なり云云。

今謂く、一致の(しょ)(りゅう)は大僻見(びゃっけん)なり。勝劣の所立は文義(へい)(ねん)たり。然りと雖も(なお)宗祖の本意に非ず云云。(ここ)に相伝有り。(けだ)し当流の意は、今日の迹中所説の本迹二門、通じて名づけて迹と為す。久遠元初の名字(みょうじ)の妙法、之を名づけて本と為す。是れ則ち内証の寿量品に顕す所の(じん)()、文底秘沈の(じん)(じん)の大法なり云云。故に久遠名字の妙法を余行に渡さず、(ただ)ちに信行する故に本門の題目と名づくるなり。諸門流の題目と永く別なり。()く能く伝受すべし云云。


つづく


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by johsei1129 | 2016-03-31 22:19 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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