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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 03月 27日

法華取要抄文段 三四  蓮祖大聖人、我が身は法華経の題目なりと知(しろ)しめし、久遠元初の自受用身と顕れたもう

 
 問う、本尊問答抄の意は、末代悪世の凡夫は(ただ)法華経の題目を以て本尊と為すべし等云云。若し(しか)らば、蓮祖を造立して(なお)本尊と為すべからざるか、如何。

 答う、「法華経の題目」とは本地(じん)(じん)の奥義、即ち是れ蓮祖聖人の御事なり。其の故は蓮祖大聖人、我が身は即ち法華経の題目なりと(しろ)しめし、久遠元初の自受用報身と顕れたまえり。故に知んぬ、法に即して人、人に即して法、人法(もと)是れ体一なり。故に「法華経の題目」とは亦是れ蓮祖聖人の御事なり。(あに)本尊とせざらんや。是の故に蓮祖の在世に御弟子日法(にっぽう)をして自身の影像を造立せしむ。即ち今の(しょう)御影(みえい)是れなり。

 問う、人法体一の証文は如何(いかん)

 答う、経に云く「()()(たも)つこと有らば、則ち仏身を持つなり」等云云。普賢観経に云く「此の経を持つ者は則ち仏身を持つ」等云云。妙楽云く「人法の名は(こと)なれども大理は別ならず。人即法なるが故に」云云。(つぶさ)には文底深秘抄の如し。  

 問う、若し(しか)らば色相荘厳の仏も(まさ)に人法体一にして(そく)法華経の題目なるべし。何が故に(しか)らざるや。

 答う、()れ久遠元初の自受用身とは本地自行の本仏、境智冥合の真身なり。故に人法体一なり。(たと)えば月と光と冥合するが故に、其の(たい)是れ一なるが如し。若し色相荘厳の仏は迹中()()の迹仏にして、世情に随順して現ずる所の仏身なる故に人法に勝劣あり。譬えば水中の月は大小の(うつわ)に移るが故に、天月に望むれば勝劣分明なるが如し。故に色相荘厳の仏は、人法体一に非ずして勝劣雲泥(うんでい)なり。

 問う、人法勝劣の証文は如何(いかん)

 答う、涅槃経に云く「諸仏の師とする所は所謂(いわゆる)法なり。()の故に如来()(ぎょう)供養す」等云云。

 宗祖云く「法は()れ聖の師」等云云。

  宗祖云く「仏は所生・法華経は能生なり」。つぶさには文底深秘抄の如し。今はしばら之を略す。

 問う、色相荘厳(しょうごん)の仏は世情に随順するの証文如何。

 答う、(しばら)く一文を引かん。教時義に云く「世間(みな)仏は三十二相を具することを知る。此の世情に随って三十二相を以て仏と為す」等云云。金剛般若(はんにゃ)に云く、云云。

 問う、蓮祖大聖人、我が身は法華経の題目なりと(しろ)しめし、久遠元初の自受用身と顕れたもう文理如何。

 答う、吾が祖は諸宗遊学の間に(あまね)く一代聖教の淵底(えんでい)を究めて滅後弘教の次第を(かんが)え、(すべ)て八宗の奥義を尽して末法流布の深秘を(あきら)む。御年三十二歳、建長五年(みずのと)(うし)の春の(ころ)、再び故郷に帰り末法の本尊を祈りたもうに、四月二十八日の暁天(ぎょうてん)に、古僧示して云く「汝が身を以て本尊と為すべし」(新定一七二二)。即ち明星(みょうじょう)(がいけ)を見たまえば、不思議なり、蓮祖の影即ち今の大漫荼羅なり。此の時、(まさ)しく我が身は法華経の題目なりと知り、朝日に向って始めて南無妙法蓮華経と唱う。(しか)る後、無量の巨難を忍び、三大秘法を弘む。文永八年九月十二日()(うし)の刻、(たつの)(くち)御難の時、名字凡身の当体(そく)久遠元初の自受用身と顕れたまえり。(つぶさ)には開目抄愚記の如し。故に蓮祖大聖人は末法下種の本仏、主師親の三徳なり。故に本尊と(あお)ぐべきなり。


つづく


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by johsei1129 | 2016-03-27 15:21 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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