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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 09日

法華経の日本伝来は「人王第三十四代推古の四年なり」と記された書【三論宗御書】

【三論宗御書】
■出筆時期:弘安元年(1278年) 五十七歳御作。
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本書は断簡が伝えられておりますが述作日等の詳細は不明です。内容は弟子・信徒の教化のために、仏教各宗派の日本伝来を論じられた書であると推察されます。
文中で法華経にの伝来について「人王第三十四代推古の四年なり」と記されておられます。
尚「太子」とは推古天皇の摂政であった聖徳太子の事で、聖徳太子は自ら法華経の注釈書である「法華義疏」を述作されたほど法華経への造詣が深かったと思われます。
■ご真筆:富士大石寺(断簡)所蔵(一般非公開)。
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[聖徳太子著作 :法華義疏 真筆]

【三論宗御書 本文】
 三論宗の始めて日本に渡りしは三十四代推古の御宇治(みよ・しろしめ)す十年・壬戌(みずのえいぬ)の十月、百済の僧・観勒(かんろく)之を渡す。
 日本記の太子の伝を見るに異義無し。但し三十七代との事は流布の始めなり。
 天台宗律宗の渡れる事は天平(てんぴょう)勝宝六年甲午(きのえうま)二月十六日丁未(ひのとひつじ)乃至四月に京に入り東大寺に入る。天台止観等云云。諸伝之に同じ。人王第四十六代孝謙天皇の御宇なり。聖武は義謬(あやま)りなり、書き直す可きか。戒壇は以て前に同じ。
 大日経の日本に渡れる事は弘法の遺告(ゆいごう)に云く「件(くだん)の経王は大日本国高市(たけち)郡・久米道場の東塔の下に在り」云云。此れ又元政天皇の御宇なり。

 法華経の渡り始めし事は人王第三十四代推古の四年なり。「太子・恵慈法師に謂(い)つて曰く、法華経の中に此の句・字を落す」と云云。
 太子・使ひを漢土に遣わす已前、法華経此の国に有りや。推知するに、欽明の御宇に渡る所の経の中に法華経有るなり。
 但し自ら御不審有る大事あり。所謂日本記に云く「欽明天皇十三年壬申冬(みずのえさる)十月十三日辛酉(かのととり)百済国・聖明王、始めて金銅釈迦像一躯(いっく)を献ず」等云云。
 善光寺流記に云く「阿弥陀並びに観音勢至、欽明天皇の御宇治天下(みよ・あめがした・しろしめす)十三年壬申十月十三日辛酉、百済国の明王・件(くだん)の仏菩薩頂戴」云云。相違如何。




by johsei1129 | 2019-11-09 21:12 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)


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