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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 03月 21日

法華取要抄文段 二八  三大秘法の御名すら尚百千万劫にも聞き難し。況や此の大法に値い奉らんをや


  問う、道の一字を何ぞ三()の秘法と云うや。

  答う、言う所の道とは(すなわ)ち三義有り。

第一に虚通(こつう)の義、即ち本門の本尊なり。文の二・三十六に云く「中理(ちゅうり)虚通、(これ)を名づけて道と為す」等云云。「中」は(いわ)く中道、即ち妙法蓮華経なり。「理」は謂く実相、即ち是れ一念三千なり。此の妙法の三千は法界に周遍して更に(ふさ)がる所無し。故に虚通と云うなり。(あに)本門の本尊、事の一念三千の南無妙法蓮華経に(あら)ずや。  

第二に所践(しょせん)の義、即ち本門の戒壇なり。輔正記(ふしょうき)・十四に云く「道は是れ智の所践なるが故に」等云云。以信代慧の故に智は即ち信なり。(およ)そ戒壇とは信者の()む所なり。故に所践の義は本門の戒壇なり。
 秘法抄に云く「王臣一同に本門の三秘密の法を(たも)ちて乃至霊山浄土に似たらん最勝の地を(たず)ねて戒壇を建立す可き者か乃至三国並に一閻浮提の人・懺悔(さんげ)滅罪の戒法のみならず大梵天王・帝釈等も来下(らいげ)して(ふみ)給うべき戒壇なり」等云云。

第三に能通の義、即ち本門の題目なり。天台大師、法界次第(しだい)の中に云く「道は能通を以て義と為す」等云云。本門の題目とは即ち是れ修行なり。修行は進取の義なり。進取(あに)能通の義に非ずや。玄文第四に云く「行は進取に名づく乃至智目行足をもって清涼(しょうりょう)()る」等云云。故に知んぬ、能通の義は(すなわ)是れ本門の題目なり。

若し(しか)らば道の字の三義、即ち是れ本門の三大秘法なり。此の三大秘法の広宣流布せんずることを恋い慕いて「後の五百歳遠く妙道に(うるお)わん」と釈したまえり。伝教大師の「正像(やや)過ぎ(おわ)って末法(はなは)だ近きに有り」等は即ち此の意なり。

故に撰時抄上九に此等の文を引き(おわ)って云く「法華経の流布の時・二度あるべし所謂(いわゆる)在世の八年・滅後には末法の始の五百年なり(しかる)に天台・妙楽・伝教等は進んでは在世法華経の時にも・もれさせ給いぬ退(しりぞ)いては滅後・末法の時にも(うま)れさせ給はず中間(ちゅうげん)なる事をなげかせ給いて末法の(はじめ)をこひさせ給う御筆(おんふで)なり、例せば阿私陀(あしだ)仙人乃至道心あらん人人は此を見()きて悦ばせ給え正像二千年の大王よりも後世ををもはん人人は末法の今の(たみ)にてこそあるべけれ此を信ぜざらんや、彼の天台の座主(ざす)(東寺七大寺の碩徳)よりも南無妙法蓮華経と唱うる癩人(らいにん)とはなるべし」等云云。

  若し(しか)らば、三大秘法は(ただ)蓮祖出世の本懐なるのみに非ず。(かたじけな)くも釈尊出世の大事、多宝・分身(ふんじん)の証明・舌相(ぜっそう)の本意、本化を召し(いだ)すの本意、天台・伝教の内鑑(ないがん)の本意なること文義分明(ふんみょう)なり。(あに)此の三大秘法を信ぜざるべけんや。

  経に云く「無量無数劫(むしゅこう)にも()の法を聞くこと(また)難し」又云く「無量の国の中に於て、乃至名字(みょうじ)をも聞くことを()べからず」等云云。三大秘法の御名すら(なお)百千万劫にも聞き難し。(いわん)此の大法に()い奉らんをや。三千年に一度(はな)開く()(どん)()、無量無辺劫に()うなる一眼(いちげん)の亀にも譬え給うは是れなり。大地の上に(きり)を立てて大梵天宮より芥子(けし)()げんに、錐のさきに貫かれたるよりも、三大秘法には値い奉り難きなり。此の須弥山(しゅみせん)に針を立て、彼須弥山より大風の強く吹かん日に糸を渡さんに、針の穴に至って糸の(もり)の入りたらんよりも、三大秘法には値い奉り難し。何ぞ(ただ)此の法を信ぜざらんや。


                        つづく
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by johsei1129 | 2016-03-21 10:09 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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