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日蓮大聖人『御書』解説

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2016年 03月 18日

法華取要抄文段 二五  証明・舌相等は滅後の為なることを明かす

  
  十五日

 

一 疑って云く多宝の証明(しょうみょう)

  此の下は次に証明・舌相(ぜっそう)等は滅後の為なることを明かすなり。 

一 日蓮云く舎利(しゃり)(ほつ)・目連等

  「舎利弗」の智慧第一なること、(もん)の一・六十二、記の一末の如し。「目連」の神通第一なること、文の二初、記の二の如し。各文、広く()いて見よ。  

一 (こん)(りゅう)陀仏(だぶつ)

  文も一・十四 に云く「若し身子(しんし)()を見れば則ち竜陀の本を見る」文。記の一本五十八 の意に「(しゅ)菩提(ぼだい)は青竜陀仏、舎利弗は金竜陀仏」云云。  

一 文殊(もんじゅ)弥勒(みろく)乃至過去の古仏

  文の二・五十六 に「文殊は歓喜蔵摩(かんぎぞうま)()宝積仏(ほうしゃくぶつ)」云云。弥勒の事は、文の二・五十九、義疏の二・十に云云。啓蒙に云く「弥勒古仏の義は正しき証文無しと雖も、文殊・観音等に准じて(しか)()うなり」云云。  

一 現在の応生(おうしょう)文。

  問う(もろもろ)の法身菩薩、若し本化及び妙音等の如きは、本身を改めずして裟婆(しゃば)来集(らいじゅう)す。此れは是れ往来なり。若し此の界に託生(たくしょう)するを「応生」と名づく。若し(しか)れば文殊・弥勒は此の界に託生するや。

  答う、実に所問の如し。文殊師利般(もんじゅしりはつ)涅槃(ねはん)経に云く「仏、跋陀波(ばつだば)()菩薩に告ぐ。此の文殊師利は大慈悲有り。此の国の多羅(たら)(じゅ)(らく)なる(ぼん)徳波(とくば)羅門(らもん)の家に生る。其の生るるの時、家内(かない)屋宅(おくたく)()して蓮華の如し。母の右脇より生ず。身は()(こん)の色なり。地に()ちて能く語ること、天の童子の如し。七宝の(ふた)有り、随って其の上を(おお)う。九十五種の諸の論議師、能く(しゅうたい)すること無し。(ただ)仏処に於て出家学道し、首楞(しゅりょう)(ごん)三昧に住せり」等云云。又、賢愚経に云く「波羅奈(はらな)王は波羅摩(はらま)(だつ)王と名づく。輔相(ほしょう)有り。(ひと)りの男児を生ず。相好備満して身の色()(こん)姿容挺(しようてい)(とく)なり。(あざな)を立てて弥勒と()う」云云。既に此土(しど)に託生す、故に「応生」と云うなり。  

一 仏の在世に(おい)ては一人も無智の者之れ無し等

  問う、能引の権者(ごんじゃ)は実に然るべきなり。所引の中に三周得悟の人も(しか)るべし。三周未悟の一毫(いちごう)未断(みだん)(ともがら)(これ)有り。何ぞ「一人に於ても無智の者之れ無し」と云わんや。

  答う、妙楽の記八・三十五 に云く「三周の後、(たと)い凡夫有れども(ことごと)く凡見に(こと)なり」等云云。

  如説修行抄二十三・二十九 に云く「在世は能化の主は仏なり弟子(また)大菩薩・阿羅漢なり、人天・四衆・八部・人非人等なりといえども調機(じょうき)調養(じょうよう)して法華経を聞かしめ給ふ乃至末法今の時は乃至其の師を尋ぬれば凡師なり、弟子(また)闘諍(とうじょう)堅固(けんご)白法(びゃくほう)隠没(おんもつ)・三毒(ごう)(じょう)の悪人等なり」云云。

  (まさ)に知るべし、在世の衆生は是れ実に凡なりと雖も、皆是れ三五下種の(ともがら)なり。しかのみならず塵点より已来(このかた)節々に之を(いざな)い、今日四十余年の間、機を調(ととの)えたり。(たと)い一毫未断なりと雖も、何ぞ末法今時の(ほん)未有(みう)(ぜん)の大愚人と同じからんや。


                      つづく
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by johsei1129 | 2016-03-18 22:21 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)
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